gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

時間の使い方(作り方ではないです。)

時間の使い方は、

誰のために使っているか?

で説明出来る気がする。

 

あの人のためのご飯を作る時間。

あの人に渡すプレゼントを決める、買いに行く、迷う、ワクワクしながら帰る時間。

あの人達と会うためにどんな服を着るか決める時間。

このブログをだれか見てくれないかなーって思いながら書く時間。

明日会う人達に笑顔で会うために、自分の体を休ませる今日という時間。

明日の試合を自分の一打で決めてやるって努力する時間(チームメイトのため?)

人狼ゲームをやるために、仕事をいい感じで切り上げる準備をする時間。笑

 

自分のために使う時間が、誰かのためになるって少し視点を変えてみるだけで、

貢献感がもてるし、そんな時間の使い方をしていけるといいなぁって思う。

協力・貢献

「子どものため」

本来の目的、”自立”からすべてを考えていくと、時間がかかる。

出来ない=ダメ

じゃなくて、

出来ない(今は)

なんだよな。

これから出来ることは何か?を考えればよい。

学校はそれを許さない。

だから、目的も手法も自分の中では、見失われまくってる気がする。

 

でも、でも、でも気持ちは一つで。

何とかしたい。この子達を。

という先生と仕事できてる気がする。

今の環境と、自分の行動の一つひとつを正当化する気はさらさらない。

でも、そういったことを分かったうえで、何とかしようとしてる気がする。

あきらめたり、ごまかしたりせず、向き合って。

何とか、枠の中でジタバタする。そんな感じだ。

学校を否定して、「しょうがない」って思っていた自分が、

少しずつ、この枠の中でやったろうやないかいってなってる。(今は・・・)

 

なんでこんな気持ちになっているかというと、手法も目的もありやしないけど、

何とかするんだ!子どものために!ってなってるから。

まぁ、この気持ちが彼らの主体性を奪うと言えばそれまでだが。

限られた時間と、出来ないが許されない環境下で、

子どもも、大人も必死だ。

 

思慮深さに欠ける、大胆な文章になりました。

そんな日もあっていいかな。終わり。

卒業式当日

[嬉しい編]

握手だったり、写真だったり、話だったり、抱負だったり、心配されたり。笑

特別な日でしたが、良い意味で特別感がなく、巣立っていきました。

嬉しいような寂しいような変な感じです。

(文章は少ないですが、本当に感動しました。この感動は僕だけのものです。笑)

 

[複雑な感情編]

今日まで、色んなことがありました。挙げていけば、数え切れません。

でも、卒業していくんですよね。この日になれば。

私は、この日を体験して、

この日がどっちみち訪れるなら、私自身、もう少し接し方があったんじゃないかな?

って思います。

また、

最後がOKならすべてOK(結果的に卒業式までこれば?過程は・・・?)

もう少しOKな部分、あってもいいんじゃないか?

何かを強いる必要あるのか?

強いることで彼らはどんな成長をしたのか?

「自立」というテーマに進んだのか?

やはり疑問は尽きません。

 

で。

[この気持ちはどうすればよいの?編]

最近は、こんな気持ちを、先輩先生方には打ち明けています。

若輩者の言葉に耳を傾けくれる先輩先生です。

私は、この思想を否定されるのが嫌で、怖くてあまり話しませんでした。

話していく中で感じたことは、

先輩先生は、上記で挙げたことは重々承知しているのです。

そのうえで、学校を運営するために、やらねばならないことがあると教えてくれます。

 

もうここまで来たら、己の選択に託されているんだなと。

そう思います。

子どもたちには、「選択して行動して責任をもつこと。」を伝えています。

 

自分はやり切れていない部分があります。(集団の中で、どうしても・・・です。)

思想・理想に行動が伴わない部分があります。

(自分の理想が子どものためになっているかは別として。)

良い・悪いではなくて、

合う・合わないの問題なのかとも思います。

 

迷ってはいません。

今は出来る事を積み重ねるだけです。

でも、卒業式に考えておきたいことでもあると思いました。

 

というわけで、

3年生、3-6のみんなありがとう!

終わり。

卒業式前夜

卒業するのは、子どもたちなので私がどうこうってことはありませんが。笑

今年の卒業生は新任として、名南工業高校にきて、2年間副担任として関わりました。

担任の先生より多くの授業をもって、面接の練習もしたし、座学では補習もしたし、

3年生の「課題研究(工業高校の総合的な学習)」という授業では、

「学校の人を幸せにする研究」なんていうテーマで、研究内容を決めない状態からスタートしたりしました。

 

去年から今年にかけて、2年間で私が伝えたかったものは何か。

「失敗力」だと思います。

むちゃくちゃ失敗しました。

何をもって、成功・失敗なのかと言われれば、線引きは私もよくわかりません。

みんな好きなことを言っていますから。笑

自分の中では、「そこはそんなに問題ないだろう。」というのも、他の先生から見ると問題だったりして。

そんな時なのに、すこぶる前を向いて、同じ失敗をしないように、1秒反省して、常に前を向き続ける。行動する。チャレンジする。だって、やってみないとわかんないからね。

(先輩)先生のいうこと=正しい

(正しいこと多い。笑 しかし、ここでいう正しいとは、学校として何事もなく過ぎていくことに近い。)

ではなくて、冷静になって自分なりに考えてみる。

それを実行してみる。

するとそんなに問題じゃないこともある。

自分の中で大切にしている、信念や理想(心の声)をしっかりと自分の中にもち、自分の責任で行動していく。

(涙目になりながら、ポジティブ発言をしている時はさすがに慰められましたが。)

 

私のこれからの課題は、他の先生との関わりです。

失敗しないようにするわけではなくて、

真摯にチャレンジしていくことです。

周りの方々に理解を得られれば、意外と様々なチャレンジをさせてもらえることがわかってきました。

これが面倒すぎて、嫌になるようなら、また考えればいい。

そんなときだって前向きに。今できることがまだある。

脱線しましたが。

彼らは、僕がどんだけ失敗したって、笑って僕を受け入れてくれました。

失敗力を高めさせてくれた彼らに最大の感謝をもっておくりだしてきたいと思います。

そういう人と一緒にいると、そういう人でいられるの法則

自然体でいて、遠慮もほどほどで、対等な関係を持ってくれる人。

あえて言うなら、気を遣わずズカズカ言っちゃう人。

私はこんな人というと、自分も自然体でいられる。

自分を大切にしているから、相手を大切にしている。

意見や行動を批判されても、その人自体を否定しているわけじゃないから、

俺「あんぱん美味しいよね」

そういう人:「いや、そんな好きじゃない」

俺「そっか!アンパンマンは?」

そういう人:「好き好き!(棒読み)」

ちょっとよくわからん内容になったけど、何でも言ってくれて、何でも言える。

それでいて、一個人としてお互いを当たり前のように認めている。

そんな関係が好きだ。

 

はたまた、私は笑顔が苦手だ。写真の作り笑顔が作れない。笑

でも、四六時中、自然な笑顔を絶やさない人がいたとしよう。

何にでも笑顔になっちゃう人。

自分も笑顔になる時間が増えるんですよね。なぜか。

 

30人、松岡修造のクラスにいたら、熱い言葉しか使わないから、

熱い言葉スタンダードになって松岡修造みたいになるんじゃないかって思う。

 

自分ひとりでは、新しい自分とは出会えない。

その新しい自分が、誰かの前だけの自分であっても、それはかけがえのない新しい自分なんじゃないかって思う。

 

とりあえず、写真用のストップ笑顔の作り方を誰か伝授してください。笑