「子どものため」
本来の目的、”自立”からすべてを考えていくと、時間がかかる。
出来ない=ダメ
じゃなくて、
出来ない(今は)
なんだよな。
これから出来ることは何か?を考えればよい。
学校はそれを許さない。
だから、目的も手法も自分の中では、見失われまくってる気がする。
でも、でも、でも気持ちは一つで。
何とかしたい。この子達を。
という先生と仕事できてる気がする。
今の環境と、自分の行動の一つひとつを正当化する気はさらさらない。
でも、そういったことを分かったうえで、何とかしようとしてる気がする。
あきらめたり、ごまかしたりせず、向き合って。
何とか、枠の中でジタバタする。そんな感じだ。
学校を否定して、「しょうがない」って思っていた自分が、
少しずつ、この枠の中でやったろうやないかいってなってる。(今は・・・)
なんでこんな気持ちになっているかというと、手法も目的もありやしないけど、
何とかするんだ!子どものために!ってなってるから。
まぁ、この気持ちが彼らの主体性を奪うと言えばそれまでだが。
限られた時間と、出来ないが許されない環境下で、
子どもも、大人も必死だ。
思慮深さに欠ける、大胆な文章になりました。
そんな日もあっていいかな。終わり。