gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

文化祭で哲学対話 part3

哲学対話って?+午前の第1回目

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2018/10/31/225441

午後の第2回目

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2018/11/02/132552

 

今回は午後の第2回目にして、

「なぜ自殺はダメなのか?」について振り返ります。

このテーマを出した生徒と共にテーマについて掘り下げたところ、

「自殺は絶対ダメだ!みたいなポスターみたいに自殺はいけないことだという世の風潮があるけど、自分が死ぬかどうかは自己責任なのでは?」

というところまできた。

「自分の命なのだから、自分でどうしたっていいのではないか。」

とのこと。

これに対し、他の生徒から、

「自分の命は自分だけのものなのか。」

という問いがあった。

親御さんたちが育ててくれたから今があるのだと。

テーマを出した子は、

「生まれたいと思ってこの世に生まれてきたのか。」

「お金をかけて育ててくれたはいいけど、親孝行をしなければならないという風潮も息苦しい。」

との意見も。

家庭によって、立場によって違いがあるからこそ、一人ひとりが自分の言葉で話してくれた。

 

午後の対話では、

保護者の方も参加されていた。

保護者の意見として、

「親の立場を一旦置いておいてみると、その人が死ぬかどうかはその人の問題だと思う。」

「親としての意見をいうね。私の息子は自殺したいと言ってきたし、トラックに轢かれて瀕死状態になったこともあった。自殺したいって言った時も、トラックに轢かれた時も、私が代われるならそうしてあげたいって思った。代わって私が死ねば、この子の苦しみが、悲しみがなくなら。こう思えるようになったのは親になってから。」

と。

 

ひとしきり、意見が出終わったころに、

私から思うことを言ってみた。(まとめようとせずあくまでもIメッセージで。)

「最初のテーマに戻ってみよう。自殺してはいけない。っていう風潮があるって言ってたね。自分もそんな風潮があるのは感じるけど、自殺してはダメって誰が言ってんだろうね?」

「立場によってこれだけ意見が変わる。僕たちはもしかしたら、死に触れていなさすぎなのかもね。365日、人の死を目の当たりにしている人、看取っている人がいたとして、毎日後悔の念を口にしながら人が亡くなっていくのを見ている人がいたとしたら、違う意見なのではないかな?」

「そして、自殺をしようとしてる人を助けたいと心から願い、自殺を止めるチカラも伴っている人の集団があったなら、その人たちは自殺はダメっていうんじゃないかな?」

と。

 

最後に感想をシェアしました。

生徒さん方からは、嬉しい感想多数。

保護者の方からは、

「上からモノを言ってないか心配でした。緊張しましたが楽しかったです。」

と、これも気づきと嬉しさのある感想でした。

自分も気をつけよう…汗

 

私はこの場を立ち上げた者として、場を守る必要があると考えていました。

好きなことを言い合うだけのような場にならないようにと。

しかし、そんな心配は必要なく、皆が適切な距離感を漂わせながら、いつもは聞けないことを問い合っているように見えました。

 

立場が違えば、意見が違う。

でも、普段の生活ではなかなかそこまで気が回らない。

こうやって語り合う時間っていいなあと改めて感じました。

 

文化祭で哲学対話 完

 

(この自殺についてのテーマを出してくれた子は、勉強も部活も頑張っている子。"生徒として"は何不自由なく学校生活を送っているように見えた。でも、この疑問を日常生活の中で外に出せばどうなるだろうか。心配されたりするかもしれない。どんなテーマにおいてもフラットにその疑問に対して自由に話すことって大切だと思う。どんな疑問にも、順序をつけず語り合う場が学校にあるというのは、価値があるなぁと思う。)