私たち現代人は「いつでも有意義に過ごすべきだ」と思い込んでいる、一種の「有意義病」にかかっているようなところがあります。
中略
また、現代では特に、「価値」というものが、「お金になる」「知識が増える」「スキルが身に着く」「次の仕事への英気を養う」 等々、何かの役に立つことに極端に傾斜しているので、「意義」という言葉もそういう類の「価値」を生むことにつながっているものを指すニュアンスになっているです。
私自身、ブログをしている理由の一つとして(やりたいからやっているで十分なんですけどね。笑)、「1日に文章で意味付けをする。」というのがあります。
文章でなくても物思いに更けて1日を振り返ってもいいです。
今日1日に目を向ける時間をとることって大切だと思うんです。
大切な理由がなくたっていいんですけど。笑
私がつけたいのは「意義」ではなく「意味」です。
何かに「意味」を付けるのは紛れもなく自分です。
「意味」は主観的なものです。
まずは、何をするにしてもそれを、
”ココロ”や”カラダ”で感じること。
”頭”で「どんな意味があるんだろう?」と考えるのはずっと後でいいんじゃないかな?
ということです。
生きる意味は探しても構わないです。
楽しみ続けて、探し続けていければと思います。
ただ、「自分の価値は?」という問は苦しいかも知れません。
価値や意義も考えてもいいですが、
生きているという事実以上の価値や、意義はないと思います。
少しずつ「意味」へシフトしていって、
自然と”ココロ”で意味を捉えていけたらいいなと思います。
おわり。