gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

惰性慣性

中2ー29

ミス:0

14:12

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惰性の対義語を調べたのですがありませんでした。

慣性という言葉がありますが、近いようで全く違う言葉です。

らくだのプリントを惰性ではなかなか続けれられないと思います。

惰性にはまだ、続けさせることを目的とするような力を自らで働かせているのような感じを受けるからです。

力を入れてはいるけど、その力の入れ具合を調節する必要がある感じです。

これは日によって違う自分と少しながらも戦わないといけないので辛いような気がします。

 

慣性は、速さや出来栄えという観念のないままに、

「スーーっと」進んでいる感じといいましょうか。

自分で押して進んでいるというより、流れに乗るような感じです。

他の力も借りながら、自分が流れていくような。

さらに言えば、自分が勝手にプリントをやっているのを眺めているような感じでもあります。

 

慣性と惰性は漢字一字ですが、全く違う感覚だと思っています。

 

おわり

部通信 part4

「部活動でどこまでどうやるか」
前提の確認をします。
部活動は有志の集まりです。
「バレーボールを行う人が集まり活動する。」
しかし、
どう活動するのかは、活動する私を含めた部員たちが決めることです。

少なからず、君達をみていて私は、
「バレーボールを親しみたい人が集まり活動する。」 だけの場所ではないと思っています。 親しむだけなら土日の練習試合はいらないですし、大会の位置付けは思い出作りでしょう。

じゃあ、勝つことが目的か?
練習や試合の中で、
「頑張るやつ」=「正しい」
「勝ちにこだわるやつ」=「正しい」

でもないでしょう。
ここは高校の部活動です。
バレーボールを親しみたい人がいてもいい場所です。 バレーボールを親しむ人がいながらもコートの緊張感を維持する方法を全員が主役となって考えていかねばなりません。
それがクラブチームと部活動の違いでしょう。 モチベーションの違う部員が同じコートで、勝利至上主義でも、親しみバレーにも偏らず、部員それぞれが大切にできることを尊重し合う。
これは何よりも難しいでしょう。
楽しみながらも苦しいことに耐えるにはどうしたらいいだろうか。 試合の出場機会の偏りがある中で、皆の気持ちをどう同じ方向に向けるか。

課題は山積みですが、これを私とあなたたちが考え、行動していくことが強く・楽しいチームを作ることにつながりでしょう。

非言語的感覚

本当に大切なこと・伝えたいことは、単語で一つや、ある短い時間の話では伝わりきらないと感じる。

毎日の出来事や言動に注視して、無意識レベルの感覚に問いとして呼びかけていく必要があると思う。

 

それは何年もかかることだ。

年数がかかればかかるほど難しいってわけでもないが、高校三年間で伝わりきり、かつ、生徒が体現できるかどうか。

そして、毎日の学びから、伝える側もアップデートされていく。

 

本当に大切なことは非言語的で、不完全なものなのだろうと思う。

 

今に注視して生きている人は、

今も尚気づき続けている。

 

おわり

自分と他者から見た自分

「客観的に自分をみてみること。」

「他者の意見に耳を傾けること。」

などは、人と共に生きていくときに大切だと言われる。

 

自分から見た自分と、他者から見た自分は違う。

Aさんが見た自分と、Bさんが見た自分も違う。

そう考えると、”自分”という存在は環境(他者に)依存的で、不確かなものであると言えそうだ。

 

では、

「自分からみる自分か、他者からみる自分が大切か?」

と問いを立ててしまいがちではあるが、

これは答えのない問いだろう。

自分からしか見えないこと、

と、

他者からしか見えないこと

が必ずある。

自分から見えないものは信じてあげなきゃいけないし、

他者からしか見えないものは、

他者に問うことなどで盲点を自覚的にならないといけない。

 

他者からの情報を事実ベースで集めていけば、

自分が見えてない(見ようとしていない)こと(課題)が見えてくるだろう。

 

おわり

自反自応

中2ー28

ミス:2

30:20

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30分近くプリントをやっているが、長いとは思わない。

プリントをすることで、喜怒哀楽の反応が減ってきている。

プリントをやっている時、自分に何か影響を与えて気持ちを変化させる人やモノはない。

反応しているのは自分だから。

 

おわり