gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

「仕事なんか生きがいにするな」 著:泉谷閑示

仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)

今日からこの本について書いていこうかなと思います。

まずは、

ハンナ・アレント氏が1958年に発表した「人間の条件」というの著書の中で人間の活動全般を3つに分けて考える

「労働・仕事・活動」

という概念が出てきました。

 

私は今の教員という職をどこに位置付けているか?と考えてみました。

その日その日で、割合は変わりますが全ての項目に当てはまると思います。

"仕事だからやる"というプロ意識は大切ですが、

自分と他者の成長のためにやれる。

やりたいからやっている。

と思わせてくれるこの職には感謝しています。

また、学校は、

「学びたくない人と、学びたくない場所で、学びたくない人と、学びたくないことを学ぶ場所である。」という側面があると考えているのですが、これは大人にも当てはまることだと思います。

少なくとも、"働くこと"にはこのような側面がある気がしています。

 

教師塾は逆に

「学びたい人と、学びたい場所で、学びたい人と、学びたいことを学ぶ場所である。」

気がしています。

教師塾は、そういった意味では"活動"に分類されると思っています。

 

この3つのバランスが大切。

労働が悪いわけでは決してなく、

労働後の何とも言えない達成感と、そのビールの美味さは形容が難しいですよね。笑

 

今後もこの3つのバランスを大切にしながら、職務にあたりたいです。

おわり。

陸上競技部part6

この土日は大会で瑞穂陸上競技場にきています。

 

昨年から最近まで、大会や練習に向かう姿勢が気になっていました。

気になっていたというのは、大会へのモチベーションや練習の雰囲気などです。

礼儀正しいし、自分で考えて練習もできる。

でも、もう一歩だなと。

そんな風に思っていました。

 

でも何が「もう一歩」なのか、

モチベーションって何と比べてたんだろうか?

 

クラスでは必要以上に求めることなく、

まずは子どもたちを受け入れて、その瞬間からどうしたらいいか?

”今”の彼らにかけるベストの言葉は?

と考えられる。

 

部活動だと、無条件にに部員に対して、厳しく見ている自分がいることに気付きました。

それは、当時の自分(高校野球時代)と重ね合わせていたんだと気付き始めました。

子どもにとての部活動の位置づけは子どもの数だけ違う。

まずは受け入れることから。

部活動に関して、

知らず知らずにたくさんの当たり前が、私をしばりつけていて、

子どもも同じように縛っていたのかなと思っています。

反省。

おわり。

後々効いてくること

その時は分からなくても、

後々わかってくることってあります。

学校で言われることでは、多いのではないですか?

 

その時はシンプルすぎて、

何回も聞いたよ。

って思うことも、どんどん大切になってくる。

それは、その言葉を、

行動という形にしていくことが多くなるからだと思っています。

 

私も分かってくれないことが多いです。

でも諦めてはいけないなとつくつぐ思います。

 

今、分からなくても、言わないといけないことは粘り強く伝えていきたいです。

そして、何より"今"を大切にしたい私は、今でもわかるように話す力をつけたい。

おわり。

"話す"とは

去年の暮れ頃に、

話すということは、

「伝達と表現である。」

と聞いた時、その時はハッ!とはしなかったが、直感的に大切だと思っていた。

 

このことを頭に置きながら話すようになり、何となく自分の中でも腑に落ちることも増えてきた。

伝達と表現をするときに大切なことは、

正しく伝える。
正直に表現する。

だと考えている。

 

特に

"正直に表現する。"

というのは大切。

 

学校の当たり前と、

自分の当たり前を重ね合わせた時に、

自分に正直に表現できるかどうか。

肯定的かつ、分かりやすく、その後聞いた側が少し考えられるような。

そんな言語表現が出来るように意識していきたい。

おわり。

理想

理想

1 人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。「理想を高く掲げる」⇔現実。
2 理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態。

デジタル大辞泉より

 

自分で考える理想は、頭で練り上げられたものな気がしています。

なので、自分が知らず知らずのうちに、描き上げた理想は、理想じゃない場合もあるんだなと。

確かに、体験が伴っていない。いわば、空想にも近い。

 

でも、理想を否定するわけではなくて。

理想をもってそれを実現しようとすることはエネルギッシュだ。

 

理想には、そんな側面があることを知りつつ、囚われないようにしたい。

 

おわり。