gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

「鈴木先生」

映画 鈴木先生

観ました。

多くの子どもは学校に通って社会に出ていきます。

自分一人で、全ての子どもをみることは不可能です。

だから、クラス担任や部活動の顧問という立場で、手分けして子どもたちを良い方向へ導いていきます。

当然のことを説明する形になりました。

 

この映画は、

学校教育の盲点と、教員の苦悩を描いた映画だと感じました。

どれだけ、学校の中で”よい時間”を過ごした子どもたちも、

全員が立派に、生き生きと生活していけるかどうかはわからない。」

これは大前提でありながら、教員が十分に考えなければならないことです。

学校内で死ぬほど”苦労”したとしても、その苦労が生きる場合もあるわけです。

 

学校内の”よい時間”も”苦労”も、

子どもが大人になり、学校での出来事を

彼らがどのタイミングで、どのように意味付けをするかはわからないです。

 

であるならば、クラスも部活動も、

”良い状態”の定義はいつもふらふらと変化するものです。

 

また、

理想の教師像やクラス像、人物像も常に変化した方が良いし、

過度な自信や、過度の不安があるなら、学び、行動した方が良い。

 

鈴木先生は、自分のことを”無力”だと言っていた。

これも事実だし、事実じゃないですね。

 

明日は出校日。

良いエネルギーになりました。

おわり。