gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

謝ることについてのみ謝る

謝るとき

謝るべき要件にキチンとスポットライトをあて、

誠意を込めて、

出来るだけ少ない数の

「申し訳ありません。」

「すみません。」

を贈ろう。

 

許してもらうためには?

という自分のモヤモヤを晴らそうというのはイマイチ。

 

謝って、

その要件が終わったら、

その他のことについてはいつも通り応対する。

卑屈になって相手を下からみると、

相手も気持ちよくない。

いじめているみたいになってしまうから。

 

最後はありがとうで終わる。

そして行動を伴わせてコツコツと信用を回復しよう。

 

おわり

2018.6.13 本来面目

5-41

ミス9

12:34

 

究極的には自分がどうしたいか。

それを阻むものも自分。

自分のかけた箍に気づいていく。

そのためには自分をモニタリングすること。

それをらくだでやっている。

 

順序立てて、局面を限定して考えることで、

事実と認識を引き剥がしていく。

それが未来デザインのような気がしてる。

でもらくだがベース。

 

おわり

 

結果オーライでオーケイ

狙ったことがそのまま起きること、

予想の範囲内、

コントロールしてる状態などは、

良しとされることが多い気がしています。

 

逆に何の用意もしてなかったのに感謝されてしまうこともあります。

 

AをしようとしたらsuperBになることだってある。

それでいいと思うんです。

 

ただ、

AもBもCにもチャレンジしないと、

何にもならないので、

何か狙いや予想はいるんですが、

狙ったことや予想は半分くらいしか及んでなくて、もう半分くらいは余白があると思っておいた方が面白い気がします。

 

おわり

今日の対話 part4

今日の対話

と言いながら先週の木曜6/7(木)の業後に行った対話の振り返りです。

今回はこちらの記事をみんなで共有してから始めました。

trapro.jp

 

・眠たい授業ってどんな?なんで?

⇨受ける側が考えていないから眠くなる。

⇨押し付けがある

⇨好き嫌いな教科とかない

 

・好き嫌いは授業に真剣に取り組むかどうかに影響する?

⇨出来れば好き 興味をそそられる。

⇨やらないといけないことの一番上にくれば勝手にやる

好き嫌いで比べている→実際はやらないっていう選択肢がある

 

・授業で「出来た!」って感じる基準って?

意見でず・・・

 

・勉強しないのはアリか?

⇨考えてやらないって選択したならあり!

⇨自分の行動と責任で決まる。

⇨自分の心で決めていればOK

⇨点数取りたいならやればいい

 

・「勉強しろ!」と言われたらどう?

⇨人生に関わってくるが、強制は無理

⇨たまに何やってんだろ?って思うことがある。

(↑知りたくないもない人に教えている自分も同じことを感じると西尾も共感・・笑)

⇨家を追い出される、だからやる。

 

・最後に感想を

⇨結論ないこと全部哲学だなー

⇨西尾tには圧がある・・・(質問とかに圧があるらしい・・・笑 これはいかん。笑)

⇨サイコー!

⇨満腹(笑)

 

おわり

 

追記

今週の木曜もやる予定です。

我が校2年4組以外の方も参加できますよー^^

部顧問

私は小中高大で野球をしてきました。

私は現在、陸上競技部の顧問です。

常勤講師の一年目はバレーボール部でした。

やったことないスポーツの部顧問をしていますが、今日この日まで何とかやってこれています。

専門の先生が顧問ならもっと育ったかもな…とかは思ったことも思うこともありますが、仕方のないことです。考えることは減りました。

 

また、

バレーボールなら、

選手のジャンプ力を上げたり、

ブロックシステムを教え込む、

野球なら、

ホームランの打ち方、

魔球の伝授、

陸上競技なら、

早く走るために必要なこと、

挙げればキリがないですが、

これらのことを教えたという自覚は一つもありません。

いわゆる指導の出来ない教員という風に見えるかも知れません。

 

しかし、時間という何よりも貴重な財産を彼らに与え、また彼らも私に与えられているという関係を何よりも大切にしてきました。

 

練習時間はみんなで決める。

練習メニューもみんなで決める。

どこを目標にするかあなたが決める。

なんでグラウンドに来るかはあなたが決める。

 

私が決めないことで、決める意識を自ずとついてきます。

彼らが悩んでいるなら問うことで、ある程度の方向づけをしてあげるといいです。

こちらが与えることはしなくても大丈夫な気がしています。

 

私があれ?と思えば意見を言えばいい。

彼らがあれ?と思えば意見を言われればいい。

そう思います。

 

自分の愛した競技、スポーツであればあるほど、熱が入ります。

自分の青春時代と重ねて、また青春時代に達成できなかったことを表現しようとしてしまうかもしれません。

ただそれはエゴです。

 

目の前にいる子ども、子どもたちがやりたいだけやれる環境をつくる。

 

どれだけやる気がなく(見え)たってその時間を共に過ごすこと。

とっても難しいけど、これができるかどうかだけ考える。

できないなら無理してやらず断ってしまえばいいと思う。

 

おわり