gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

両面教師

反面教師は自覚している、していないに関わらずバランスが取れていないと思う。

教員も人である。

先に生きてるだけであるから失敗もするさ!

こういうところを見せることも大切さ!

と、自分で言ってはいけない、他人に言われることは大丈夫かな?だと思ったりする。

 

しかしながら、わたしはよく失敗する。

忘れたりもする。

 

はたまた、彼らから学校に対する不満を聞いたりする。

不満を意見に昇華させること

が大事であるから共に根本的な問題を考えたり、足りない知識が何なのかを考える。

学校サイドにも、子どもサイドにも乗っからず自分の頭で考えて、意見をもつ。

これが大事だ。

 

失敗はしていいけど、

自分では自分に言ったりはあまりしない。

大丈夫だよ。と言ってもらえる自分であればいい。

 

学校のルールを守らせる番人、勉強させる看守にならない。

かといって、

子どもに寄り添うとかいいながら、子どもを全肯定したりしない。

 

教員であり、一人の大人であること。

この両面を合わせ持つ。

これが反面教師ならぬ両面教師かなと思う。

 

両面教師は、

考えていないといけないし、

バランスを取り続けることだと思う。

 

おわり

人を動かす

人を動かす 新装版

えー、一文字も読んではいません。笑

人を動かしたいともあまり思ってはいません。

私の課題はもっぱら一人で抱え込むことです。

なので、動いてもらう!

平等にみんなに頑張ってもらおうなんて思っていません。

自分にやれることだけやってりゃokです。

 

ただ思うのは、自分には得意なことがあり、不得意なことがあるということ。

そして、人の数だけ自分と同じようにそういう特性があるということです。

 

自分に都合のよいように(自分が苦手な部分を押し付けて)動いてもらおうというのでは、自分よがりです。

また、自分が得意なことは同じように皆が出来るとも思わない方が良いと感じています。

みんななかなか出してませんが、秀でた能力があり、苦手なことがあります。

そして、それをさらけ出すのは至難です。

 

自分という同じような人間が分散しているのでなく、全く違う特性を持った人が違ったベクトルで存在していることを想像する。

 

長所が発揮できる環境と舞台を整えていけば、勝手に人は動くのではないかと思います。

 

じゃあどうすればいいか。

それが難しいのですが…

たとは、デール・カーネギーさんに聞いてみようと思います。

 

おわり

疲れているときに見えてきたこと

疲れているとちゃんと見ないといけないことに集中できるようになります。

というより、そんなに多くのことを見ることや注意することができなくなってくるので絶対に押さえないといけないところだけ見るようになる気がします。

 

 

効率や合理性をいくら高めてもどうにもならない領域にくると、

自然と優先順位が決まってきて、それ以外には自動的に力が割けなくなります。

 

 

少しでも傲慢さや慢心がある中での失敗はだれかのせいにしたり、

自分を責めてしまったりすることはあるかもしれません。

しかし、疲労困憊の中での、

失敗をしたときは、

すごく素直に謝れます。笑(いつも素直でありたいものです。笑)

そして、とても感謝できます。(何事にも感謝したいものです。笑)

「あー、もうそこは無理っすーーー笑」という心の声と共に、

感謝が溢れてきます。

 

自分のBESTにはまだまだ伸び代(ですねぇ⚽️)があると思いますし、

もっと効率の良いやり方はあると思うのですが、

自分が一杯一杯のときこそ、人の優しさや他者の存在に感謝できるような気がします。

 

この疲労の中で、

自然と注意を傾けられたこと、意識が向いたことは、

目の前にいる人(子)たちの状態でした。

自分がヘロヘロな分、同じように疲弊している人はいないか?

課題を抱えてて右往左往してる人はいないか。

疲れていそうな人がいれば、それをこちらが何とか認知して、

見えていることを伝えるだけでも相手は心が軽くなるのでは?と思います。

 

疲れて全くブログなんて書ける気がしませんでしたが、

疲れていることで、私が見ようとした、意識を向けようとした先に、

人がいたので書けました。

 

終わり

 

追伸

明日に控える「体力テスト」の係り割り振りを完全に忘れていた私ですが、

陸上競技部の子たちが自分たちで考えてやっていているみたいです。

あー、マジすげぇ・・・あざす。

2018.4.29 崩壊

小5-20

17:18

ミス6

 

怒涛の4月が終わり、

破壊衝動に駆られたかのような2日間を過ごしました。

27日分は、28日のAM5時にらくだをやっていないのに気づきました。

28日も記憶がうっすらとした感じで気づけば29日の朝を迎えました。

怒涛の4月も破壊衝動も私が作り上げているものなので、

らくだをやらない要素にはギリギリなりますが、理由にはなりません。

やらないと決めているのは私だからです。

今までのやらないパターンはそんなに自分を責めるようなものではありませんでしたが、今回は、40日らくだが続いていたからか少しモヤモヤします。(勿体無い?)

課題はわかっていて、

お酒を飲んで、ウェイウェイすることは予測される日は朝の時間を使うべきなのです。

というか、毎日、朝やれたらベスト。

帰ってきてかららくだと向き合うという時間が本に向けられる相乗効果もあるような。

 

4月に入って帰宅後の過ごし方が良くない。

疲れてる疲れていないに関わらず、読書をしたい・・・

らくだもやりたい・・・

やれない・・・笑

 

おわり