gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

ブログを書くこと part2

5日に一度ぐらいのペースでブログを書いていません。
「毎日、書く。」
と、自分と約束はせずとも、
「書き続けよう。」
というザックリとした約束はしました。
そこに、何日に一度は休んで良いとか、そんなルールも設けていません。
ブログを続けてきて、
ブログを書くことを、スッコーンと忘れていたのは一度だけです。↓

 

gt-24o.hatenablog.jp

 


PCやiphoneと向き合ったり、書こうとしなくても、
「あ、今日書いてない。」
とか、
「この時間に書かないと、俺は書かないだろうな〜」
などと、どこかで気づいています。


話は変わり、

昔に比べれば柔軟?になってきました?が、
子供の頃から"完璧至上主義"な部分があります。
自分でイメージしたことを再現できないと自分で自分を許せません。
それが、ブログを書くことで浮き上がっているように思います。
納得のいくブログを書けなさそうだと判断すると辞めてしまいます。

(書けなさそうだという理由を付けて、書かない決断をしている。)
0か1的な部分があります。


毎日書くことが、"良いこと"だとか、
書かないことが"悪いこと"という感覚はありません。

しかし、

可能な限り、自分との約束を守りたいと思っているのでしょう。

また、どんな1日にでも、500字ほどの感想や気付いたことを書くことはできます。

いや、200でも100字でも良い。

0 か 1 ではなく、

0になりそうな日は、0.06 にする工夫や考え方や、気持ちの持っていき方が重要かもしれません。

おわり。

友人であり、同僚の話

今年度(平成28年度)から、大学で共に教員を目指した友人と、同じ職場で働いている。

私自身、この1年はかなり助かった。

大学時代にふざけ合った仲間が同じ職場にいるだけで、違う景色に見えた。

 

彼は、とにかく人の話を聴ける。

私の話もたーーーーーくさん聞いてもらった。笑

世の中に苦手な人間がいないと思わせるほど、誰とも笑顔で接することが出来る。

私自身は、言いたい事を言って、言われたいことを言われることが大切だと思っているので、そんな彼の事を素敵だと思っている。(だからこそ大学では一緒にいたのかもしれない。)

 

今日は、そんな彼が面白い自己分析をしていた。

彼は、春休みだということもあり、実習室の大掃除をしていた。

すると職員室から談笑する声が聞こえた。

そこでなぜか怒りの感情がこみあげてきたそうだ。

(俺は掃除しているのになぜ大きな声で笑ってるんだ・・・と。)

さらに、

怒りの感情がこみあげた自分を面倒な奴だと思ってしまったそうだ。

なぜ面倒か?

彼自身による自己分析では、

自分は先頭に立って誰かを引っ張ったり、

グループをまとめ上げたりするタイプではないと思っているそうだ。

それでも、

「見ていてほしい。」とか「評価してほしい。」とか、

「一目置いてほしい」

という自分もいる事に気付き、自分のことを面倒なやつだと思ったそうだ。

 

そんな自分も、君じゃないか。そう感じることに良いも悪いもないのでは?

素直になろうよ。

っと提案したが、

西尾のようにそんな簡単に考えて、納得することはできないと言われてしまった。

そうか。

いうのは簡単、やってみることが難しい。

ただ、自分は、”言ってしまう”、”やってしまう” タイプなのかなーっと思った。

おわり。

「勉強するのは何のため?」紹介

勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

 

教員である私が、学校を楽しみながらも、抱えてる違和感の正体を分かりやすく書かれています。

 

生徒と教員の関係が、"強迫観念的な何か"によって作り出されていると再認識した。

大人も(自分も)かなり、刷り込まれている。

刷り込まれた大人が、子どもに刷り込んでいく。

どっから湧き出たか分からない、"〇〇であるべき。"が、教員も生徒も苦しめている。

だからこそ、大人が早く気づいて行動しなきゃいけない。

学校内でも学校外でも、どこからでもいいから。

パリちゃくられた。

先日、自転車の盗難にあいました。

三河弁?だと、

チャリ(自転車)パクられた(盗られた)

となります。

私は、落ち込みましたが、大いなるネタをゲットしたとも思っていました。

 

自転車の盗難は先週。

そして、今日は中学時代からの友人4人で集まって「パリちゃく会」をしました。

パリちゃく会?

この4人は、中学時代に勉強会をする4人組。

僕は中学時代にも自転車を盗難にあったことがあり、そのことを他3人に報告しようとしたところ、

「パリちゃくられたんだよね。」

と言い間違えました。

大爆笑 大爆笑 大爆笑

勉強どころではなくなりました。

そんな4人です。笑

 

みんな元気で何よりです。

色々とありがとうございました。笑涙

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お店はこちら♪

http://instagram.com/crazydining

 

おわり

聞こえない"声"

 「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書) https://www.amazon.co.jp/dp/4061498622/ref=cm_sw_r_cp_api_Qn7YybMHQSRJF

 

この本には、鬱で精神疾患である人と、健康である人の線引きについて触れられています。

風邪であるか、健康であるかの線引きも人それぞれにあると思っています。

これこそ、「自分次第」という言葉が当てはまります。

 

私は、高校生の頃から、頑張っている自分が好きだったし、我慢し、頑張ることが正義であるべきだと強い思い込みをしてたと今は振り返っています。

身体がいうことを聞いてくれず、そんな自分にイライラしたこともあります。

(それが良いとか悪いとかって話ではないです。)

 

何となくのレベルですが、ここ1年で自分のカラダが発する声や、ココロが発する声を聞いてみることをしてみています。

 

それでも、ふと プッツン と何かが切れたように、疲れが湧き出し、体調が悪くなる瞬間があります。

まだまだ、声を拾い切れていないのだと思います。

 

それは、多分、声を拾ってしまうと身体動かなくなってしまうので、何とかアタマで押さえ込んで、押さえ込んで、押さえ込んできた習慣のクセなのかと思っています。

 

丁寧に生きたい。と思える環境にも感謝です。

おわり。