gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

太い綱

子どもたちには、

自分たちで考えて、

自分たちで選択して、

選択に自信をもち(自分が信じられるから選択できるのかも)、

その選択に責任を持ってほしいです。

これは大人でも難しいことが多いです。

 

クラスなら、

40人というクラスとして、

一人の人間として、自立してほしいです。

 

質問されたら、

「どうしたら良いと思う?」

と返すことが多いです。

まずは考えて、それが行動に起こしても良い考え方であると感じてほしいからです。

わからないことはをスッと聞けることも大切ですけどね。

 

ただ、子どもたちがどんな選択をするかは子どもたち次第なので、

選択をしたことに対して、口を出したくなります。

どんな選択をするのか心配になります。

 

そんなときに大切なのは、

ふとーーーい綱を私が握っていることです。

綱の先には子どもたちがいます。

 

この綱は僕が引っ張ったり、緩めたりして子どもたちをコントロールするものではありません。

そして、この綱の存在に子どもたちは気付かない方がベストです。

 

自然な生活の中で、

私は綱が引っ張られているのか、こっちに余っているのかは知っていたい。

少しは動かしますが、綱の位置は子どもたちが決めるものだと思っています。

 

そして一番大切なのは、どれだけ激しく綱が動いていても私が離してしまわないことだと思います。

 

かなり抽象的ですが、そんな感覚を覚えたので書いてみました。

おわり。

軽くなる生き方 著者:松浦 弥太郎

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松浦弥太郎に会って話してみたくなるようなそんな本。

軽くなるには、まずは自分が背負ってるモノの重さを知ること。

だから最初は重くなると思う。

だけど、重くなれたのであればチャンスだとだし、軽くなるための第一段階だと思う👍

本の紹介などもあったけど、その本を読んでいたこともあり、嬉しくなったり。

自分も生き方を常々考えるけど、まだ削ぎ落とせる部分がありそうだと思った。

おわり。

高校教師アクティブラーニング実践報告会

昨日、社会連携ゾーンshakeにて、

日頃の授業実践を報告する勉強会を開催してしました。

今回は高校教師という限定的なくくりで行いました。

 

[振り返り]

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・各学校の子どもたちの特徴を正確に捉えることが第一歩

・どんな学校にもヒエラルキーがある(わたし的に進学校のは強烈)

・子ども主導の時間(グループワーク、学び合いの時間)を設けることで、知識伝達が洗練される

・ネガティヴラーニングって何なのか

・どんな学校も、子どもたちは相対的な比較をしている

→ 自己肯定感を高める仕掛けや、"みんな違ってみんないい"という意識を当たり前のこととして、言葉を紡げるかが大切

・ALがいいからやるんじゃなくて、自分の頭で考えてみて、学習効果が必要であると判断すればやる。

子どもに必要ならやる。それだけのこと。

 

また時間が空けば行いたいと思っています。

興味がある方はご連絡下さい^^

問題児?は知っている。

問題児は知っていると思うし、ある意味では大人だと思う。

私は問題児を問題だと思っていないので、

出来ないのであれば、責任をとればよいと思っています。

ただそれだけ。

もちろん教員の指導力不足もある。

彼らの努力不足もある。

そこは五分五分だと思っている。

(そもそも出来ないことが悪いことだとも思っていない。

出来ないことがスタート。大人が子どもが出来ないことをビビりまくっている。

それは子どもに伝わっていると思う。)

成績会議なんて子どもが悪いことを一生懸命に証明するくだらない場所。

どっちが悪いなんてないですよね。

でも学びの主体者は子どもだと思う。(現状そうでない。)

だけど、支配的な授業で、支配的な外的動機付けをしてきて、

最後の最後の勉強しなかったのは子どもですって何なんだと思う。

「提出物を出させなさい。」って何なんだろうかと思う。笑涙

 

3年生のこの時期に、、、

「勉強をしてこない。」

「就職関係の書類をださない。」

「今の3年生に今年の求人はもったいない。」

そう言うのはいいんだけど。

どれだけ勉強せずとも、何とかしちゃって来たのは私たち。

やる気がなくても、そこにいればOKにしてきたのは私たちです。

問題児を問題児にしてきたのは私たちです。

問題児が問題児でいても最後の最後で何とかしちゃってきたのは私たちです。

だから問題児は学校の本質を知っている。

結局、何とかしてくれる。

ずっと子どものままでいることを大人が許している。

 

テストのこの時期になるとモヤモヤしてきます。

ただこれは戦い切れていない自分への怒りなんですよね。

目の前の子どもには伝え続けるという決意でいますので大丈夫。

 

子どもと大人で、出来なかったことをスタートとして、的確に現状をとらえて、(テストが1点だったなら、99点分わからなかったところが分かったんです。)

出来るようになる一歩を共に踏み出すことが僕らの仕事なんじゃないかと思うんです。

そしてその一歩目は必ず子ども。

 

子どものためを思うなら、もう少しオトナ扱いした方がいいと思う。

 

おわり。

机とPCとブログ

ブログを書こうとして45分が経過しました。

机に座って、PCの画面をみながら、連絡もとりつつ・・・

45分かかった振り返りを書いてしまおうと思いました。笑

 

アイディアというか、素案は何個か出てきたんです。

阿智村から飯田駅までヒッチハイクは出来るか?」

「平凡な日常なんてない。」

「教員のためのリフレクションpart2」

「2イニング4奪三振スタミナ切れ」

などなど・・・

何かが邪魔をして自分の中でボツになりました。笑

誰のためでなく、自分のために書いているものなので、

何書いても良いなんてことは100も承知なのですが、

やはりどこかで”見られている”という意識があるのでしょう。

 

ただ、「誰かのためになるようなモノを書きたい。」

という気持ちはあるのだと思います。

もちろん、誰かのためになったら自分が嬉しいから自分のために書いてます。

誰かのためも自分のためもバランスなんだとブログが教えてくれました。

おわり。