gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

求める時は思いっきり。

求める時は、おもいっきり求めた方がいいと思う。

求めているものの正体が、自分の中で答えが出ているならそれをやりたいだけやってみる。

何を求めているかさえ、わからない時だってある。

 

「これだ!」って思って、わかって(わかったつもりで)、やってみたけど、

実際に欲しがっていたものが、違うことがある。(結構多い。)

実際に欲しがっていたものは、本当にシンプルなものだったりする。

そんで、もうすでにあるのに、

感じよう、観ようとしないだけだったりする。

 

「こんなもんだ」とか、

「あの人はああいってるし」とか、

 

本当に求める何かを探すために(ないのかもしれないけど)、

色々やってみるのって大切だなって思う。

 

自分の中に湧き出てくるものに素直になって、

どんな自分も、自分であることを許す。

 

よいものには、よいと言おう。

おわり。

労働と仕事

労働

からだを使って働くこと。特に、収入を得る目的で、からだや知能を使って働くこと。「工場で労働する」「時間外労働」「頭脳労働
経済学で、生産に向けられる人間の努力ないし活動。自然に働きかけてこれを変化させ、生産手段や生活手段をつくりだす人間の活動。労働力の使用・消費。

出典|小学館デジタル大辞泉

 

仕事

何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの仕事」「仕事が手につかない」
生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある仕事を探す」「金融関係の仕事に就く」
したこと。行動の結果。業績。「いい仕事を残す」
悪事をしたり、たくらんだりすること。しわざ。所業。「掏摸(すり)が集団で仕事をする」
《「針仕事」の略》縫い物。裁縫。
「お前急に一つ―をしてくれんか」〈紅葉多情多恨
力学で、物体が外力の作用で移動したときの、移動方向への力の成分と移動距離との積。単位はエネルギーの単位ジュール、その他ワット秒・ワット時など。

 

一概に言えないが、

受動的になると労働で、

主体的になると、仕事なんじゃないかと思う。

どれだけ頼まれたことでも、自分の中で一度揉んで、アウトプットするといないのではかなり違う。

間接的で、自分が行っていることが誰かのためになっているなんて、到底思えないようなことでも仕事になりえると思っている。

車に使うネジを作っていて、このネジが初納車の社会人の笑顔や、初デートのドライブの安全を保っていることを想像できれば高い貢献感をもてる。

 

教員はどちらかといえば、直接的に感謝されたり、自分の努力や時間を目の前の人のために使う。

だけど、目の前にいる子どもとの関りでさえ、

「仕事ですから。」の一言で片づけてしまえば、

それは、

「労働ですから。」

と同じな気がする。

 

労働が悪いと言っているのではなくて、

主体的に心を開いた状態で過ごしていけば、

仕事をする時間が増えるんじゃないか。

仕事って素敵なもんなんじゃなかってこと。

おわり。

インターハイ予選

昨日まで、瑞穂陸上競技場で高等学校総合体育大会名南支部予選が行われました。

自己ベストを出す生徒も、

アップで捻挫して出場辞退する生徒も、

気分がのらずに出場辞退する生徒もいました。

大会に出るのもこちらが強制しないとなると、色んな要素が絡み合って出場をしないという選択をするんだと少し驚いています。

驚くのは自分がどんな意識で部活動を捉えてきたかによるので、私がジャッジすることではありませんが。

出るにしても、出ないにしても。

部活動を続けるにしても、続かないにしても。

子どもたちが、それぞれどう在りたいか。

私がつべこべ言わずとも、

子どもたちが自分自身と向き合っているのであれば、出場辞退も貴重な体験なのではないかと感じています。

どんな体験からでも、彼らが何かを感じとれると、私が信じていることが大切です。

おわり。

 

「教育の力」

教育の力 (講談社現代新書)

「自由の相互承認の"感度"を育む」

ために、国単位から、私たち教員単位で何が出来るのか。

どう変化していくと良いか。

そして、

何が出来るか、どう変化していくかを、

大人(達)がどう考えていくか。

 

が論じている本だと感じています。

とにかく、"目的"を見失わないこと。

 

目的が明確であれば、手法は多岐に渡ります。

"第三のアイディア"も出やすい気もします。

それを後は実行できるかどうか。

実行に移すために周りに確かな説明が出来るか。

これらが大切になりそうです。

おわり。

「考具」

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

この本は面白いです。

”思慮深く”ブログを書くには様々な視点が必要です。

でも、PCの前に座るとネタやアイディア、新たな視点がとたんに出てこなくなります。

なので、最近は、こんな本を読みつつ、歩きながら

考え方を考えています。笑

学び方を学ぶことに似ています。

 

よく子どもには「自分で考えてみて。」

と簡単に言ってしまいますが、

同じ視点からモノゴトを見ていても、一生そのモノゴトは同じ形をしています。

ですから、その子の視点を1mmでも動かす、「問い」を出すのがとても重要になります。

 

この「問い」を出すには、まずは自分が様々な方面からモノゴトを捉えることのできる脳の使い方を日ごろからする必要があると感じています。

 

この本の中で、アイディアと企画は別のものであると書かれています。

私はこの二つの言葉をしっかりと分けていませんでした。

 

時間・お金などの要素がそろって、実現可能な状態にまで練り上げられたものが、「企画」です。

 

私の場合は、二週間に1度くらいで、「っっは!!これはいけるかも!」と急に思いつくことがありますが、これは「アイディア」です。

 

そしてこの本には、アイディアを大切にするように書かれていました。

わけのわからない思いつきも記録して、蓄積させることが大切であるそうです。

アイディアのハードルを下げてあげると、考えることが楽しくなります。

 

「第3回の教師塾ミーティング」を企画中ですので、何かアイディアがあれば教えてください^^

おわり。