gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

4歳の社会人

私は週に5日の労働を始めて5年目になる。

これを社会人と呼ぶなら、

社会人としては4歳だ。

10年後の37歳で、社会人14歳だ。

14歳では義務教育も終わってない。

 

社会人になるってことを、

人のために自分の力を使えるようになるってことだとしよう。

15,18,22歳で仕事を始めることを考えれば、

37歳になったって、社会人14歳なら、

社会人のために力を使える社会人ってのは、

早くて38歳ってことになる。

 

人のためになるって嬉しいけど、

やっぱり簡単じゃない。

 

焦らなくてもいいじゃないかって思う。

 

おわり

気づいたとしても

気づいたとしても、

気づいたとことが相手に起こってるのでは?

って相手側にたつことを忘れてしまうことがある。

 

気づいたとしても、

書き残したとしても、

行動できてないことがある。

 

気づいたとしても、

自分の言葉だけで語るだけでは、

伝わらないことがある。

 

気づいたとしても、

彼や彼女には違う形かもしれない。

 

同じことを気づいていたとしても、

分かり合えないこともある。

 

そんなこと言われても、

気づいたら、

伝えたい。

 

おわり

言葉が出ないけど困ってない

簡単に「悲しい」とか「さびしい」とか言葉にできないっていうのも、きっと僕のそういうところから来ているところもあるんでしょうね。

今、感じているこの感情が「悲しい」ってことなのか。

本当は確かめようもないことですから。

それを疑いもせず「悲しい」って言い切ってしまったら、いわく言いがたい中間がバッサリ省かれてしまうことになる。

いっそ「悲しい」と断定することをひとまず横に置いてみたらいい。

そうして前提もなく結論も何もない場所に立つと、全部が相対化していくのがわかるんじゃないですか。

今、感じているこの感情はいったん何なのか。

わからないまんま、じっと抱えているほかはない。

 

本当はどんなことだってそうで、そう簡単には言えないよ。

言ったところで「いや、本当にそうか」ってことが必ずついてくる。

原因と結果をせっかちに結びつける今の考え方、どうして僕には本当のことじゃなく思えるのかって言ったら、そういうことですよ。

本当は何にしたっていわく言いがたい中間こそが問題で、その中間の何かを省いてしまったら、あとには何も残らないって感じがするんです。

フランシス子へ  著:吉本隆明 p.79〜81より

 

 

ブログでも、

話すときも、

どの程度、前提を整えて話すか。

これはとても迷うところです。

 

文章の言葉一つひとつに込めている意味が人の数だけあるから、

言葉にするだけでは、なかなか真意は伝わらない。

伝わらないこそ、

やりとりが楽しかったりするし、

ときには苦しくなったりする。

 

特に私が言葉が出てこなくなるのは、

話すとき。

意味と意味との中間というか、

言葉にできない何かにとらわれると、

その先の話が入ってこない。

 

そんで持って、

「何かありますか?」

なんて聞かれたら、

モヤモヤしてることも忘れてしまって何もいうことがなくなる。

テキトーな感想も言いたくないので、やはり言葉が出てこない。

 

でも、困っているわけでもない。

吉本隆明さんが僕が言葉にできないことを、

代弁して文章にしてくれている気がしたので、

ここに書いてみた。

吉本隆明が伝えたかったことと、私の感覚にもおそらくズレがある。

でもいいんだ。

「あ〜そうかもねぇ・・・^^」

くらいでいい人もいるし、

「それってこういう意味でもとれるよねぇ〜^^」

でもいい。

 フランシス子へ (講談社文庫)

おわり