gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

ファシリテーターって?

このファシリテーターというもの。

諸説ありというか、

個人差もあるし、

大切な要素はどんな環境下でファシリテーションを行うかで全く違う観点になるものです。

塩坂太郎さんのブログより

2018.3.19 ファシリテーションの語源は“容易にすること” - そのまんまたろうのブログ

廣安祐文さんのブログより

本日のつれづれ no.517 〜2017.08.27 ファシリテーション講座での質問への回答〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

井上淳之助さんのブログより

ファシリテーションにとても近い意味の単語は? | 往来物手習い

 

私はファシリテーターを務めた経験は多くないので、なんとも言えないのですが、

私の場合は、

自分の興味の惹かれるものにヒットする内容についてファシリテーとすること。

自分の好きなことでないとファシリテート側に回ることは難しいと思っています。

この時点でファシリテーター失格かもしれませんが。笑

楽しさや魅力を知っているからこそ、自分の存在を前に出してしまったりすることもあるのですが、そこを薄めて全体の貢献のために力を注ぐには、自分の好きなことを皆さんにも味わって欲しいという気持ちがないとやれないんじゃないかなーっと思いました。

 

おわり

いつ何をしても、誰と会っても同じ一日

仕事に余計な不安をもっても、

休みに過剰な期待をしてみても、

その1日は大きく変わったりしない。

期待や不安は自分で生み出しているもの。

自分が何に期待し、何に不安を抱いているのかを直視すれば認識にズレがあったりするかもしれない。

 

時間の使い方にジャッジせず、

そのままをありのままを味わいきりたい。

 

時間は有限ではあるが、決まったゴールがあるわけじゃない。

時間は無くなっていくものじゃない。

今しかない。

そんなふうに思う。

 

おわり

「ファシリテーション革命」 著:中野民生

ファシリテーション革命 (岩波アクティブ新書)

11月11日の教師塾の企画や、

9月からの授業のために、

今一度、ファシリテーションについての本を読んでみました。

通読というより、気になった項目をスラスラと読みました。

場づくりをする際に大切なことが一通り書かれている様に感じたので、

読みながらは手を止め、教師塾の企画を考え、文字に起こしました。

 

教師塾は次で8回目となります。

教師塾は学ぶ内容・テーマを設定して参加者が集まることで成立します。

それ自体に価値はあります。

教師塾以外にも対話をデザインするイベントをしたり、

学校での対話の場を設けながら再度感じたことは、

会を設ける側のコンセプトが重要であるということです。

コンセプトが違えば、どんなワークをやっても違った様子になりますし、

プログラムのデザインも少しずつ変わってきます。

各セクションでの参加者の行動や心がけに対する、介入方法も変わってきます。

 

とここまで書いてきましたが、

コンセプトって何なんだ。

でと止まってしまったので、これにて。

 

おわり

 

第2回ちょっと緩い教育座談会

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主催者は大村俊夫ことぼぶさん、(逆?笑)

講演をしたのは清水真平さん。

 

教師塾の実践報告と、

メインワークであるインタビューゲームの進行役を行いました。

「教育」というひろいひろーい枠の中で参加者の皆さんがどうしたら話しやすい、聞きやすい座談会になるだろうかと考えながら企画させて頂きました。

 

「私にとって教育とは?」

を意見交換をする中でまとめられる範囲で文章にすることをゆるいミッションにしながらグループで話し合う時間をとりました。

参加者の方々は、伝えたいこと疑問に思うことがあり話のネタは尽きないように思えました。

 

教師塾などの対話の場、学びを場を設ける中で気になったことも簡単に話しました。

それは、そもそも私たちは

「教育について」

という広い範囲では話し合いは成立しないということです。

立場、環境、関係する相手を明かした上でなければその人の教育の在り方は見えてこないからです。

私なら、

県立工業高校の1クラスの担任として

だったり、

陸上競技部の一顧問として

だったり、

教師塾を主催する人として

でしか話ができない。

 

でも、それらを明かした上で、

それぞれの人の目の前に広がっている、

教育の現場や、問題点を共有したりすることはできます。

何より、

「私はこう感じている。」

という事実はそこにあるからです。

 

立場、環境、関係する相手

さらにいうなら、

教育の目的、それらを叶えるための実践を明らかにする事で

その人の主観で感じていることは共有をする意味が出てくるのではないかと思っています、

 

と、言ってみたものの、

楽しかったです。

という感想が一番嬉しかったです。

 

おわり