教育に正解はありません。
国、時代、風土などで変わってきて当然だからです。(そう教わりましたし、そう思います。)
じゃあ正解はどこに?
"学び続けることがかろうじて正解"
(これも受け売りですが。)
なのではないか。
"かろうじて"という部分も大切かと。
このような話ができる環境も当たり前ではないです。
とてもありがたく思います。
おわり。
教育に正解はありません。
国、時代、風土などで変わってきて当然だからです。(そう教わりましたし、そう思います。)
じゃあ正解はどこに?
"学び続けることがかろうじて正解"
(これも受け売りですが。)
なのではないか。
"かろうじて"という部分も大切かと。
このような話ができる環境も当たり前ではないです。
とてもありがたく思います。
おわり。
私は高校教員です。
クラス会議を学校でやれるか?
と、聞かれればそれはこれから考えることとして。
私が思うに、私が務める学校は"超管理教育"だと思っている。
確かに、援助が必要な子どもは多いが、教員が世話係化している側面もある。
そんな学校で、
子どもが主体的に自治でき、民主主義を学べるクラスを作りたい。
自分たちでクラスを動かす事が出来る、教員にも対等に発言でき、選択し、責任がとれる子どもを育てたい。
そんな中で、クラス会議を研究し、実践する赤坂真ニ先生や、小中学校で実践している人から、クラス会議をしていくことで、大切なエッセンスや本質を学び取りたいと思って参加しました。
私は甘かった。笑
話をしっかり聞いて、帰ろうとしていました。
しかし、outputなしのinputには効果が薄いことを身体で感じました。
主体的に参加せざる得ない、
クラス会議式にクラス会議を学ぶ場でした。
その中で、残ったフレーズをリスト化します。
・クラス全員に20%の仲間がいるか?
→仲間=喜怒哀楽を理解してくれる人
・コミュニティには多様性が必要不可欠
・400万円オーバーの年収が稼げる人は1,000人中44名
→自分にはお金があるが、子どもはお金がない生活をして行く可能性がある。
・マジで学習指導要領よく読もう。
・outputありきのinputをする。
→協同的に
・問題解決者に育てる教育
・非認知能力を評価し、授業観を変える
・意欲は育つか?無気力は学ばれる
→成長的マインドセット
⇨努力をほめる・能力は褒めない
・「環境は変えられる」という子どもの意識
・笑顔で注意→ポジティブディシプリン
・自分に出来ることをやる
・非認知能力をみんなで考える(授業)
・環境が個人の道徳性を規定する
・話し合いをする際に、答えを当てに行かない。ブレストは質より量
・課題研究ミーティングはサークルで
・ポジティブな注意喚起(割とできてる)
・stにて…まず問う→話し合う→伝える
・IQ→EQ→NQ
・正解から目標創出
・教師塾ではユーモアが欲しい
→参加者の疲労少
・保護者会をクラス会議で。
・バードビューとインセクトビュー
・自殺者は遺書がある場合のみ
→10万人と言われている
これらのことを、時間をかけて日々の行動に落とし込みます。
本日最後の振り返りで、ストーンと下りてきたこと。
子どもにとって学校は大変だってこと。
50分間つまらない話は聞けない。
信用できる人とじゃないと何しても疲れる。
人と関わるのには、ストレスがかかるということ。
そして、そのストレスを軽減し、より過ごしやすいクラス、楽しいクラス、言いたいことが言えるクラスを私たちは作っていかなきゃいけないし、それだけの大いなる立場だってこと。
悲観してるわけではなく、どちらかといえばワクワクに近い。
なぜなら、とびっきり素敵なクラスになることもあるから。
まだやれることはあるなってところ。
伝えたいことがたくさんあるから、夏休みになるのが少しさみしい。笑
おわり。
子どもたちには、
自分たちで考えて、
自分たちで選択して、
選択に自信をもち(自分が信じられるから選択できるのかも)、
その選択に責任を持ってほしいです。
これは大人でも難しいことが多いです。
クラスなら、
40人というクラスとして、
一人の人間として、自立してほしいです。
質問されたら、
「どうしたら良いと思う?」
と返すことが多いです。
まずは考えて、それが行動に起こしても良い考え方であると感じてほしいからです。
わからないことはをスッと聞けることも大切ですけどね。
ただ、子どもたちがどんな選択をするかは子どもたち次第なので、
選択をしたことに対して、口を出したくなります。
どんな選択をするのか心配になります。
そんなときに大切なのは、
ふとーーーい綱を私が握っていることです。
綱の先には子どもたちがいます。
この綱は僕が引っ張ったり、緩めたりして子どもたちをコントロールするものではありません。
そして、この綱の存在に子どもたちは気付かない方がベストです。
自然な生活の中で、
私は綱が引っ張られているのか、こっちに余っているのかは知っていたい。
少しは動かしますが、綱の位置は子どもたちが決めるものだと思っています。
そして一番大切なのは、どれだけ激しく綱が動いていても私が離してしまわないことだと思います。
かなり抽象的ですが、そんな感覚を覚えたので書いてみました。
おわり。
松浦弥太郎に会って話してみたくなるようなそんな本。
軽くなるには、まずは自分が背負ってるモノの重さを知ること。
だから最初は重くなると思う。
だけど、重くなれたのであればチャンスだとだし、軽くなるための第一段階だと思う👍
本の紹介などもあったけど、その本を読んでいたこともあり、嬉しくなったり。
自分も生き方を常々考えるけど、まだ削ぎ落とせる部分がありそうだと思った。
おわり。
昨日、社会連携ゾーンshakeにて、
日頃の授業実践を報告する勉強会を開催してしました。
今回は高校教師という限定的なくくりで行いました。
[振り返り]
・各学校の子どもたちの特徴を正確に捉えることが第一歩
・どんな学校にもヒエラルキーがある(わたし的に進学校のは強烈)
・子ども主導の時間(グループワーク、学び合いの時間)を設けることで、知識伝達が洗練される
・ネガティヴラーニングって何なのか
・どんな学校も、子どもたちは相対的な比較をしている
→ 自己肯定感を高める仕掛けや、"みんな違ってみんないい"という意識を当たり前のこととして、言葉を紡げるかが大切
・ALがいいからやるんじゃなくて、自分の頭で考えてみて、学習効果が必要であると判断すればやる。
子どもに必要ならやる。それだけのこと。
また時間が空けば行いたいと思っています。
興味がある方はご連絡下さい^^