gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

はじめての哲学思考② 記事:苫野一徳さん

www.webchikuma.jp

 

今回は、宗教と哲学の違いについて。

この記事を読む前に、私が漠然とざっくりと理解しているつもりでいたのは、

 

哲学は考えること(考える過程)で、自他の助けになるかもしれない。

宗教はゴールがあり、何かを信じれば助かる。

 

という違いがあると思っていた。だ

記事を読んだ後、

宗教を信じるかどうかは別として、知ってみることは大切だと感じた。 

なぜなら、それはより多くの人の価値や考えの基準を知ることになるから。

 

以下は記事の中から気になった部分の抜粋です。

有名な、「万物の根源(アルケー)は水である」という説だ。

人類の知の歴史から見れば、ここにはある重要な進歩があった。

なぜならタレスは、「水」というキーワードを、信じるべき“神話”としてじゃなく、みんなで“たしかめ合う”べき原理として示したからだ。

「万物の根源(アルケー)は水である」

この言葉は、古代ギリシャ最初の哲学者だと言われる、タレスさんの言葉だ。

万物の根源は水だと言い切るには、多くの知識・視点が必要であることが想像できる。

信じる対象が、神話から、原理へのシフトしたということ。

では、これは科学とはどう違うのか?

次回へ繋がります。

 

私は目の前の物事、人(生活)においての、”納得了解”を見出すことが自分の中の哲学だと考えている。

とすると、かなりスケールの大きな話だ。

しかし、最少も最大も知って困りはしない。

目の前のことを大切に、昔の方々が何を考えていたのかを少しずつ知っていく。

 

おわり

 

 

 

納得解を導く思考

数多くの人間が集まる場所(教室)では、全員の安心・安全が必須だと思う。

それには、

限りなく全員に近く、多くの人が納得し、了解してくれる、

そんなアイディアというか、ルールというか、心意気というか、そんなものが大切だと思う。

こういった考えを提示できるようになるには、

日常生活に起こる出来事の本質をみて、

一つ一つの事象を掘り下げて考えてみることが必要だと思う。

私は日々、こういったことを考えている。(ことに最近気づいた。)

 

こういう思考をめぐらすには、

私たちが無意識に存在を了解している当たり前を分析し、一度壊そうとしてみるといい。

無意識に存在する当たり前を、無理したり、見て見ぬフリしたり、それに気づかなかったりしながら、その当たり前を、受け入れていた場合、もう一度その当たり前に目を向けて考えたほうがよいと私は考えている。

 

今までのものが悪いとか、新しいものが良いという話ではなく。

今までずっとある当たり前は、なぜずっとあるのか?

最近の当たり前は、なぜ沸いて出てきたのか?(「まじ卍」って何?笑)

そういう“なぜ”が大切だ。

ただ、いつもいつも考えていると疲れるのでバランスが大切。笑

そして、話すときは面白くというのも大切。

 

私にとっての“哲学“

おわり

はじめての哲学思考 ① 記事:苫野 一徳さん

 

www.webchikuma.jp

 

哲学は「本質」を洞察することで、その問題を解き明かすための「考え方」を見出す営みだ。

本質を捉えることを私なりの言葉で表すと、

「今まで立ったことが視点に場所に自分で歩いてゆくこと。」だと思っている。 

生活していく中で、ふと感じる違和感。

この違和感を出来る限り自分事として捉え、自分のまだ見ぬ視点を探しに行く。

場合によっては、人がまったく気にもかけないことを真剣に考えることにもなる。

しかし、違和感を感じる感度は大切にしたい。

 

こうした「そもそも」を考えるための“思考法”を、2500年もの長きにわたってとことん磨き上げてきたものこそが、哲学なのだ。だから、僕たちがその“哲学的思考法”を身につけているといないとでは、思考の深さと強さにおいて圧倒的なへだたりがある

[圧倒的なへだたりについて]

自分が紡いだ言葉で、自分の考えを、自分が置かれる環境とのバランスを考えながら話す。

こういった言葉には力があるし、人に心に残りやすい。(気がする。)

日々考え抜いて、言葉を選び、相手に伝わるようにするには、

話すにしても、書くにしても"言葉に対する想い"が勝手に入ってしまう。

 

感情を持ち出して、自分の言い分を伝えるのとは違う。

浅はかな言葉には、言葉に対する自分のオリジナリティ(言葉に対する想い)が詰め込まれていない。

感情を表に出し、言い分を伝えようとすることと、

言葉一つひとつに”想い”が入っていて、何ともいいがたい表現になるなるのには圧倒的なへだたりがあるように感じている。

 

おわり

勉弱の効能

学びたいことを学ぶ
アタマもココロもバランスが取れた状態で、感覚的に惹かれるものをストレスなく学んでいく。
すると、自分の中からじんわりと湧き出てくる、言葉にはならない何かが。
言葉にできにくくて、
他の何かでもない。

これだ!って決めないように大切にしていこうと思う。

 

おわり

言葉シリーズ ➌

真理は、子供の口から出る」

プラトン

 

真理は、シンプルです。

最近、子どもたちから聞いたのはこんな感じです。

・髪の毛をツーブロックにして誰に迷惑かけた?

 問題があるとすれば、俺の頭の一部が寒いくらいでしょ。←これは面白かった(笑)

・白・黒以外のTシャツを着る問題は?

 よれよれのシャツ来てるせんせ〇の方が身だしなみ整ってなくない?

・陰口はダメです。思っても口に出してはいけません。

・選択できると言っても、選ばざる得ない状況ですよね。← まさに。

・人生、金と愛(これは人による思いますが・・・笑)

 

シンプルで大切なことは忘れがちです。

オトナになった気でいると、どんどんシンプルで大切なことに目を向けなくなります。

目の前にある諸問題が山のようになっていて、思考が止まってしまう。

 

そして、忘れていってしまう。

大切なことを。

 

だから、自分の奥の方にあるものに問いかける。

その行い・言葉の正しさ・美しさ・善さを自分に問いかける。

 

そうすれば、自分の中で納得のいく言葉を紡ぐことが出来るようになってくる気がする。

納得のいく行動がとれる気がする。

あきらめられるし、こだわれるようになる。

迷って・決められるようになる。

倒れても、立ち上がることができるようになる。

そんな気がします。

 

おわり