gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

豊田自動織機 碧南工場見学

教員を対象とした工場見学に参加してきました。

卒業後、多くの子どもが工場で働きます。

 

ものづくりがしたい!=工場で働く

ではないけど、

工場で働く楽しさは必ずある。

でも、

本当にやりたいこと

を仕事にできずに、

お金をもらうためだけの労働をするのはオススメできない。

(※工場で働けることを否定しているわけでなくて。

初めて、工場の中をみて、そこで働く人の熱意に触れてみて。

私は何が出来るかということ。)

私も経験したことがないために、

じゃあどうしたら良い?

と聞かれれば答えを用意できてない。

答えを用意できる人は、

その人の人生に責任を取れる人で、

そんな人はなかなかいないかなと。

自分の経験したことない場所へ、多くの子どもを導いていく。

 

今の自分に出来るのは、

今日を楽しく生きる、思考と術と、問いを立てる力を伝えることかな。

現状を常に問いただす。

 

40人が、自分で、40通りの自分の答えにたどり着く応援をする。

 

そんでもって就職はゴールじゃなくて、

人生を、労働と遊びで埋め尽くさないでというメッセージを伝えて行かないとなーって思う。

おわり。

授業の号令 part2

授業の号令を何故するのか?

礼に始まり、礼に終わる。

 

これは、感謝し、感謝される関係の形。

対等でありながらも、

「教員とせいと」という関係で、

50分間お願いします。

という意味なのかなと。

 

子どもがいなければ、

私たちに価値はないし、

授業をある程度、構成して流れを司る人がいなければ、

子どもたちも困る。

 

互いの存在があって初めて、

教育だし、"共育"が成り立つ。

 

こんなことを教えて頂いた先輩に感謝。

おわり。

授業の号令

「さぁ、はじめよう!」

と教員が元気に掛け声をかける。

その掛け声に合わせて室長が号令をかけ、挨拶を行う。

まぁ、自然なことですかね?

 

でも、授業で学ぶ主体者って子どもなんですよね。

何で挨拶するんでしょう?なぜ礼をするんでしょう?

何を「お願いします!」なのか。

先生にやるよ!

って言われなくても、

「(1時間)お願いします。」と言えることってとても大切だと感じています。

 

アクティブラーニングってそういうところから始まってる気がするんです。

最初の号令にまで問を立てられると、アクティブ(学びが開けた状態)になっていると言えるかもしれないです。

当たり前に”問”を立てらえる子どもたちにすること、これがアクティブラーニングの一つの使命だと思います。

教室の中で、誰もわからない”問”がたくさん出る授業って良いし、

40人で、一人でも多く、一つでも多くの問題が出来るようにようになることも大切。

 

ってことで、授業の始まりって大切。

おわり。

バックボーン

どんな人生になるかは、

どんな生き方を選んできたか。

さらに言うなら、どんな環境だったか。

環境は影響します。少なからず。

でも過去が環境が、今を作るのではないです。

これからは今から決められるので。

 

でも、過去にヒントはあると思う。

過去にどんな意味をつけるのかも大切。

なら、これからのために過去を見つめてみることも大切。

過去を知るのは親だ。

または、親ぐらい面倒を見てくれた人。

 

そろそろ、サシでオヤジと酒を飲んでみようかと思う。

おわり。

 

じじいになっても

今日は友人と浜松まで行ってきました。

当初は一人で自転車旅の予定でしたが雨だったことと、

急に友人から時間ができたと連絡がきたので一緒に行くことにしました。

駅で歩いていると、

手を叩いてすごい笑顔で、友人(三人のおじいちゃん)を呼ぶおじいちゃんがいました。

何回呼んでも、3人のおじいちゃんは聞こえていないようだったので、

手を叩いて気付かしていました。

手を叩いて、笑顔で「来たぞー!乗り込めー!」みたいな顔をしていて、

3人のおじいちゃんも、嬉しそうに車に乗り込んでいきました。

 

「あの年になっても、あんな感じで遊びにいきてぇな!」

と、僕の隣でつぶやいてくれる友人がいるのは嬉しいことだし、財産だなって思いました。

おわり