gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

教員と教師

教員

・学校に勤務し教育に従事する人。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

・学校で児童・生徒・学生を教育する職務についている人。(デジタル大辞泉

・学校における教育活動を職業にしている教師。(百科事典マイペディア)

 

教師

・人間とくに子ども,青年を指導し,その発達を助け促す人。類似の語に教育者,先生,師匠,師,教員などがある。学校制度発足前には教師,教育者,教員などの語はなく,学芸,武道あるいは歌舞音曲などを教授する人は師匠と呼ばれていた。今日,師匠は茶道,華道など伝統的な芸事の教師について使われるにとどまる。教師が知識,技術の伝達を中心的な仕事にする人とされるとき,教育者はより広く人格形成者という意に使用される。また近代公教育制度の確立以降,法律用語としては教員が使用されてきた。 (世界大百科事典 第2版)

 

・学校で学問を教え子供たちを導く人。先生。教員。教団などで、宗教上の指導をする人。(大辞林 第三版)

 

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教員は、子どもに教育を行い、学校で働いている人。教員は教師でもある。

教師と教員の共通点は、”教える”ということ。

ならば、

親御さんは教師。

後輩のいる中高生は教師。

就職を控える大学生の後輩がいる、新卒1年目の社会人も教師。

塾の先生は教師。

部下のいる課長も部長も社長も教師。

 

”教員塾”じゃなくて、”教師塾”

伝達と表現

人が話す?ことは、この二つに分けられるみたいだ。

 

去年のSTEPにて、私の師(勝手に師と呼ばせて頂いています。)の言葉だ。

ここ2か月の間、ずっと頭に残っているフレーズである。

 

私なりの「伝達と表現」について。

伝達・・・事実を伝えること。連絡。ST(朝の会、帰りの会)に伝えないと、子どもたちに迷惑がかかるようなことを、伝えるときに用いる。

表現・・・一人の人(私)が感じたことを、伝える時に用いる。主観的な気持ちを伝える。君たちにはこんなクラスになってほしい!こうしていこうぜ!みたいな・・・

 

子どもたちに、伝達をするのか表現をするのかを、話し出す前に宣言をすると、話が聞いてもらいやすいのでは?と感じている。

子どもは、伝達事項を聞かないと、個人としても、クラスとしても困る場合があることを知っている。

こちらとしても聞いてもらわないと困るので、責任を感じながら聞いてもらうよう呼び掛ける。

 

私としては、表現内容は聞いてもらえたらラッキーって思う。

私が表現することが、つまらない場合もあるから。笑

子どもたちに表現する内容は研ぎ澄ましているから自信はある。

だからこそ、聞いていなくても仕方がないか!と思うことが出来る。

それに、聞いていくれている子どもは、必ずいるからそういった子たちを大切にしたいなって思う。

 

そして、たまに心の底から聞いてほしいことが沸き上がる。

(たまに?結構かもしれないが。)

表現だけど。とーてーも聞いてほしいことだ。

心の叫びに近いもの。

こういう時は、子どもは聞いてくれることが多い。

こういうときも、子どもは空気読んで、察してくれているんだな。って思う。

 

話を聞いてもらえない、話が通らない。という状況に陥ったらこの、

「伝達と表現」を意識して見直そうと思う。

休日とは?

私は陸上競技部の主顧問をしています。
ここ二週間はインフルエンザが猛威をふるい、土曜の部活動はありませんでした。
1年前は野球部の第4顧問、2年前はバレーボール部の主顧問でした。
大学時代は、奨学金とアルバイト代で学費を払いながら、部活動(準硬式野球部)と採用試験の勉強でした。
一応、高校球児でしたし、中学もシニアリーグ(中学硬式野球)でした。
小学生3年生から6年生も土日は毎週野球でした。
今週は土日が休みです。という日が今年に入るまで本当に少なかったような気がしています。(数えると結構ある気もする。)
土日が休み。これはいいです。聞きたい人の話を聞き、会いたい人に会いに行けます。
仕事以外で、誰かのためになる活動が出来るのも嬉しい限りです。

しかし、油断していると、1日空いてしまったりするんです。
そして、この
「1日空いてしまう。」という感じ方に違和感を感じました。

いや、休めよ。笑

と自分に問いかけても、なんだか腑に落ちません。
一人でいることに抵抗は感じていないと思います。大切な時間なので。

休む=家にいてゆっくりする
だという思い込みがあるなぁ。と少し気付きました。
この間のように、美術館にいったりだとか、日ごろ、自分では絶対に思いつかないような時間の使い方をしてみるのって良いかも知れません。
なので、気軽にどんな行事や遊びにも西尾を誘ってください。笑

思いつく→始める→続ける

勉強、スポーツ、遊び、料理など。

思いついて、始めることは難しいことじゃない。

最初は

"やりたい"

とか、

"やった方が良い"

という気持ちがあるからやってみる。

しかし、続けるとなると、やりたくない日もあるし、飽きるかもしれない。

最近、ダーツをやっているけど、平日も8時間毎日やるってなったら、辛い気がする。笑

それは目的が、

ダーツで楽しむ

とか、

ダーツ仲間と会うこと

とかだからだと思う。

勉強にも当てはまる気がする。

勉強の目的が

希望の高校に!

とか、

資格を取るぞ!

となると毎日やることがきつくなる。

読書とかもそうかも。

 

楽しいことがあるから、

楽しくないことがある。

 

ならば、"続けること"を目的として何かを始めるといいかもしれない。

続けることを楽しんでみる。

ブログはこの感覚に近いなー(^^)

人狼ゲーム

昨日は子どもに似顔絵を書いてもらいました。

そして今日は、狼顔だといって頂きました。笑

 

今日はサムハプで人狼ゲームでした。

楽しかった!

サムハプの皆さんは、自分から一歩を踏み出して出会った方々だと、ふと気づきました。

皆さん、どんどん人と出会ってて、学ばれてて、良い刺激になります。

ありがとうございました。

 

職場、家族、大学からの友達、高校の友達など。
人は様々な集団に属します。

集団が違えば、自分の立ち位置や、キャラクターが変わるのを最近は良く感じます。

出会った人の分だけ、西尾 亮が生まれている感じです。

自分を、自分なりに捉えている西尾 亮もいます。

自分なりに捉えた西尾 亮と、他者が捉えた西尾 亮にギャップがあることはよくあります。

そこが面白いとこだなーって思います。(^ ^)

私としては、狼顔を気に入っています。笑

 

人狼ゲーム仲間募集ー!