gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

挨拶する・しない論争

「(西尾)先生、挨拶をを返してくれない先生いるんですよーーー!!!」

たびたびこんなことを言われる。

 

「聞こえてなかったんじゃない?」とか、

「考え事をしてたんじゃない?」とかは、やはり通用しない。

結局、先生の批判が始まる。笑

 

話を聞いた後に必ず伝えるようにしているのは、2つだ。

1つ目は挨拶は何のためにするのか?

2つ目は誰のためにするのか?

この二つだ。

 

何のため?

挨拶されて不機嫌になる人はそういない。

私は声をかけてもらえるとかなり嬉しくなる。

近くのスーパーのレジ打ちのおばちゃんに、

「今日もお疲れ様でした^^」とよく言われるが、

これの嬉しさというか幸福感というか、形容が難しいけど、満たされる。

だから挨拶の目的は、相手に(時には気づかないくらいの)幸福や元気をお裾分けすることができる。

 

誰のためにするのか?

挨拶をすると、相手に幸福と元気をお裾分けできるとなれば、相手のためなのか?

確かに、相手のためもあると思うけど、

相手に幸福と元気をお裾分けできたのであれば、

その時点で相手がちょっと幸せになって、ちょっと元気になるわけだから、

自分も嬉しい。

 

この話をすると、子どもたちは自己満足だと言う。

西「心の底から自己満足する能力に長けているということだよ。ニヤニヤ」

と言うと、だいたい呆れて話が終わる。笑

 

少しでも伝わっているといいけど。