gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

育児休暇 自分の感覚 周りの雰囲気

職場で子どものことを聞かれるようになった。

管理職の先生方が気を利かせて頂き、育児休暇に入るタイミングで子の状況を職員会議の場で説明した。(お願いはしていない。笑)

 

そのせいか、職場に復帰して私の調子が軌道に乗ってきた頃くらいから、子どもの状態を色々聞いてもらえる。

聞いてくる方々は皆、子が生まれる時、生まれてからのエピソードがある方だ。

体重が○○gしかなくて、、

心臓の手術をして、、

など。話を聞くと、ドキドキする話ばかりだ。

その中で休暇をとった方、なかなか時間が取れなかったと嘆いた方、色々あったけど元気だから大丈夫さ!とさっぱりしている方と色々だ。

 

私は初任から7年と長い時間、今の学校に勤めている。

7年前と今とでさえ、権利に対する感覚に違いを感じる。

さらに前ならば、

ハンガリーモチベーション で働くことが賛美され、上下関係が激しく、休むなんて理由がないと出来ないような時代だったことが想像される。

今のベテランの域にいる方々は若かれし頃、そんなハードな時代を歩み、ベテランになってみれば、仕事や権利に対する感覚が全く違ってきてしまっている。

若い職員からは、

「西尾さんのような感覚が当たり前になればなあ」

と言われ、

ベテランの職員からは、

「思い切ったねえ、、僕には無理だなあ💦」

と言われた。

 

私は15年前でも同じように育児休暇を取れていたのだろうか。(気にせずとってるとは思う。笑)

自らの感覚と周りの感覚の差異にはどんな時代も悩まられるだろうし、私の育児休暇の取得も時代に背を押された部分もあるだろう。

 

うちの職場が許してくれる雰囲気なだけで、まだまだ全くそんな雰囲気でないところもあるだろう。

そうなると、信じ、研ぎ澄ますべきは、自らの感覚と知見なのだろうと思う。

どんな集団の雰囲気だろうと、それと一線を引けるかどうかは自分次第かなと思う。

 

職場の方々には育児休暇を取らせてもらい大感謝です。