gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

戒めるとは

私は自戒を込めて文章を書くことが多い。

物事を多角的に捉えようとする姿勢からだろう。しかし、ブログ全体が暗くなりすぎてもいけないと思う。笑

 

誰のせいにもせず、自分で考え、自分の言葉で発し、自分の行動を起こすのなら、それらの効果を省みて、改善する必要がある。

物事に正解はないとは言うが、特に人との関わりにこそ正解はない。

正解はないが、自分が大切で伝えたいと思っていることが伝わっているか、身について欲しい感覚は身についているかは確認すべきだろう。

Aという効果をもたらそうとして、Bではいけない。

AαやAβでありたいし、αやβの正体は突き止めたいところだ。以下に最近起こった出来事の自戒を残しておく。

 

[できない人のために自分がいるのに。」

学び続けている(と思っている)私(人)は、時に学んでいない(だろうと決めつけている)人に攻撃的な態度をとってしまうのか。

について考える。

既に書かれているように、

自分のことを意識的に学び続けていると思う必要のある人はまだ自分のイメージするほど学べていないか(自分で決めたことを自分でコツコツとやりきれていない)、"頑張って"学んでいるのではないかと考える。

特に後者は、

「私は頑張ってこのことに気づいたのにあなたはこんなことを知らないのか。」

と言う態度だ。

私は疲れているときや、余裕がない時にこうなってしまいがちである。

そして、知らない、できない相手のことを怠惰だと決めつけてしまう。

こんな時は何のために学んでいるのかに立ち返る。

自分が困ったことを改善し、それを誰かに伝え、お互いに生かし合うために学んでいるはずだ。

一時的にも学んでいないと決めつけて、その人に不本意な対応したのなら、その人へもう一度自分のしたい関わりをして、そんな関わりをしてしまった自分を責めないようにしたい。

戒めるときは、間違いを正し、正しく関わり、自分を許してあげてほしい。