どちらのせいにもしない授業を目指す。
教員がどれだけ良い(と教員が思っている)レクチャーをしても、そのレクチャーが学習者全員の理解につながらないこともある。
ましてや、一度の素晴らしいレクチャーで技術や知識が定着することも少ない。
もちろん、教員側はあきらめていけない。
けれども、自分が完璧だと思っているレクチャーだからといって、生徒を攻めるのは傲慢だ。
しかし、一斉講義をする時間が続けばその分、生徒の理解に差が出てくる。
知らず知らず、生徒を傷つけることもあるかもしれない。(ないかもしれない。)
生徒は自分が理解できないことを教員のせいにしない、
教員は生徒が理解できないことを生徒のせいにしない。
できる事を史上の価値にしない。
なにを、どこまで、どうやって、どれくらいまでできるようになるかは生徒が選んでよいのではないか。
生徒にしか決められないのではないかと思う。
教員はその相談や、現状を生徒の鏡となることくらいしかできないのではないかと思う。
果たして40人を相手にこの理想の授業を構築できるのだろうか。
とても楽しみだ。