高1
17:08
ミス:5
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「勉強は好きですか?」
と問うて、
好きが何%で、嫌いが何%になるだろう?
どんな割合が自然と言えるだろう?
(好きが50%で嫌いが50%? 100対0?)
どこの誰にどんな調査をするかによって結果は左右されるだろうし、
勉強という言葉に対しての意味づけが皆違う。
アンケートにするならこの内容に近い選び抜かれた100の質問を用意する必要がありそうだ。(脱線した。)
ざっくりとした何らかの調査を日本でしたとしよう。
「好き」が50%を上回ると皆は予想するだろうか?
何となく、、、嫌いは人が多そうな気はしないだろうか?
学ぶことは日常生活に溢れている。
机に向かわなくたって、生活していれば色んな経験があって、最適そうな選択を毎日して生きていること自体が学んでいると言ってもいい。
でも、「勉強」って言葉になると急に何だか、いやーなイメージがへばりついてやしないだろうか。
何でだろう。
勉強そのものじゃなくて、その環境や方法、社会における勉強の立ち位置を全て取っ払ったら、
ご飯食べるみたいに、歩くみたいに勉強ってできないかな?って考えているわけです。
勉強が大変なことで、努力の代表格にいなければ。
勉強ってできるんじゃないかって。
(この状態を、「自然状態」と勝手に呼んでいます。)
自然に勉強を、「勉強しよう!」って思わなくてもできるようになれる事が、
一番最強なんじゃないかって思う。
勉強ができるようにはどうしたら良いだろう?ってスタートせずに、
勉強が特別じゃないもので、生活の一部ような状態(自然状態)になるにはどうしたらいいだろう?
ってスタートしてみてもいいかもしれない。