昨年の8月に少し読んでそのままになっていた本ですが、
今月の読書本に設定しました。
職場が学校であることもあり、
問題行動を起こしてしまう子も少なくありません。
そんな子たちとの関係性をどうしたものかと考えていたのですが、
何となくこの本を今月の課題本にしたにしては、運命的なものを感じる内容でしたので引用します。
謝ることは義務ではなく、チャンスである by 北川達夫
悪いことをしたら謝る―これは万国共通の道徳のように思うかもしれません。確かに、謝るという行動だけを表面的に見れば、万国共通の道徳と言えるでしょう。しかし、その行動の背景にある発想は文化によって大きく違います。日本人は往々にして、悪いことは悪いんだ、謝るのは当然の義務ではないか、と考えがちですが、この発想は必ずしも万国共通のものではないんです。
ヨーロッパの道徳教育では、一般に、「謝ること」と「許すこと」を小学1年生から習います。
人間とは不完全なものであるから、無意識のうちに悪いことをしてしまうこともあるし、意識的に悪いことをすることもある。たとえば、だれかに迷惑をかけたとわかってわかっていても、人間とは不完全なものであるから、相手に謝ることは難しい。また、迷惑をかけられた方も、やはり不完全なものであるから、相手を許すことは難しい。このように「謝ること」と「許すこと」の難しさを確認したうえで、「謝ること」と「許すこと」は人間に与えられた最後のチャンスなんだと教えるんですね。不完全なものである人間はどうしても悪いことをしてしまうから、相手に謝り、相手を許すことによって生きていけるというわけです。
ここで重要なのは、謝ることにせよ、許すことにせよ、あくまでもチャンスであって義務ではないということ。相手に謝るかどうか、相手を許すかどうかは、最終的には本人の選択に任されているんです。ヨーロッパの道徳教育においては、この「謝ること、許すことは義務ではなくて、チャンスである。」ということはとくに強調されている点です。
私は、人との関係性を構築するには信頼(無条件の関心)を寄せ続けていくことだと書いたことがありました。
しかし、何度も何度もそういったことが起きるにつれて、気持ちが向かなくなってきます。こちらが折れそうになってしまうわけです。
(人は自分と接すれば変わってくれると心の奥の方では期待してしまっているのがよくわかる。)
その子たちどうこうというより、
相手を信頼することができない自分を嫌いになってた気がします。
しかし引用した文章でハッとさせられたのは、太字にした部分です。
何だか、許してもらえたような気がしました。
私はロボットではないし、完全無欠の神でもない。
誰かを許せない自分を許せない
という状態だった自分を許せた気がしました。
人の行動・言動なんて変えられない。
自分はできることは限られている。
あーどこかで聞いた言葉なのに。笑
先月読みきれなかった
と
こちらを今月は読み進めようと思っています。
おわり