gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

”集団”は存在するか

私は学生の頃から、

「◯◯◯◯ということがありました。誰がやったか知らないけど、こういうことがあるのは残念だ。気を引き締めて生活してくださいね!」

みたいな話が嫌いだった。

その何かを起こしたのは、自分ではない誰かか、誰か達である。

全く自分に関係のない話で注意喚起をされねばならないのか。

と思っていた。

今は、こんな話をするかもしれない立場にいるわけだが、無根拠での注意喚起に意味はないと思っているのでしない。

 

集団がそこにあるような感覚で集団に向けて話すと、

なんだか誰にも話をしていないような感覚になる。

話される側になれば分かりやすいかもしれません。

私は”集団の一員”ではなく、一人の人間なんですよね。

なんか蔑ろにされている気がするんです。(私だけ?笑)

 

人が集まると集団に見えますが、

”集団”というものは実は存在せず、

個が集まっているという感覚で集団の前に立つと、個人がしっかり見れる。

色んなことが楽になるなぁと思う。

 

おわり