gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

部活動の私物化

今日でクラスの生徒面談が終わりました。

どの生徒の面談でも、部活動のことを取り上げました。

よく耳にしたのは、

「中学で部活は疲れたんです。」

とか、

「楽しい感じの部活動がいいんです。」

という声だった。

 

私が一番、悲しかったのは、彼らが

”何につかれたのか?” である。

「厳しいこと、頑張ること、真面目なこと=美徳」という価値観?を、押し付けられる事で、

スポーツを楽しむだとか、

仲間との時間だとか、

そういったものより、

「(先生の作る)頑張る雰囲気の部活動についていけるか?」

という判断基準になってしまっている気がする。

 

そりゃたくさんの人間が集まれば、色々な価値観がある。

顧問としても、基準を設ける必要もある。

ただ、

「頑張っている人間が正義。」

だとか、

「苦しみや我慢の先に”何かが”ある!」

というもの。

これらの、

頑張り、苦しみ、我慢 の目的をだれが決めたのか?

というのがとても重要になると思う。

 

教員がこの基準を決めてしまえば、私は教員による部活動の私物化だと思う。

子どもが選択して、自らのために自分に課した、

頑張り、苦しみ、我慢

であれば、それは彼らのためになると思う。

(彼らが自分のためだと思っているのだから当たり前である。)

 

今年の部活動登録で、2年生が深刻な顔をしながら、

「他の部活に移りたい・・・」

と言ってきた。

選択するのは生徒なので、何の問題もない。

 

部活動に来るかどうかは、君の時間をどう使うかだし、時間は君の人生だと。

選択していいんだと伝える。

そうすると、涙を流していた。

言い出せなかったんだと思う。私は責任を感じた。

そこまでになってしまう、この雰囲気は何なのか。

 

私の考えるシンプルなルール。

「部活動はやりたい人がやる。」ということの本当の意味(ほんとにそのまま。)を伝えるのに、3年かかるかもしれない。

おわり。