いつでもどこでも学べる。
原理的にはそうで、アタマではわかっちゃいるが、カラダが動かないことって多い。
教室で生徒へ、
「自分で自分を学ばせられようにしよう!」
と言うなら、
自分がそう在ろうしなきゃ、
自分で自分を学ばせるための在り方がわからない。
これは手を(体を)動かした体験からしか得られない感覚だからだ。
「夏休みはたくさんあるから、いくらでも時間あるよね。」
と言うなら、
自分はこの夏休みで何をしたのか。
と自らに問う。
そうすれば、夏休みに自分を自分のイメージ通りに動かす難しさがよくわかる。
誰でも指摘できることを平然と指摘しているだけでは何も変わらない。
その先の一歩をどう踏み出すのか。
踏み出した一歩がある人にしか、その一歩を振り返ることはできない。
この一歩には、色んなカタチがある。