gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

部通信 part25

[誰もが良かれと思って]

コート内外のプレーヤーの判断や声掛け、指示を出す教員も全ては良かれと思ってのことだろう。

しかし、それが個人やチームの成長に、ましてや結果に結びつくかなんてわからない。

それでも、責任を持って、部員は声かけを掛け合いプレーをして、教員は指導をする。

うまくいくことがれば、はまらないこともあるだろう。

時にはぶつかることも理解できないこともあるだろう。

自分で考え、行動するもよし。指示通りに動いてみるもよし。

一つひとつのことに「なぜ?」という疑問を持ち、理解しようと関わり合うことが、

わざわざ部活動としてバレーボールをやる意味かもしれない。

 

[仲間であれ]

コート内に立つプレーヤー、それらを支えるサポーター、指導する教員。

色んな立場の人が集まり、チームを作る。

だけど、プレーするのは君たち。最後の最後に自分のプレー、皆のプレーに一喜一憂するのは君たちだ。

教員は君たちがどんな形であれ、バレーボールを通して成長できるポイントは何だろうか?と探っている。

それがプレーのことかもしれないし、プレーのことじゃないかもしれない。

時には厳しい言葉掛けもあるかもしれない。

そいつがどんなミスをしても、どんな悪いことをしても。

君たち同士で声を掛け合ってカバーし合える仲間であれ。

 

[チームが楽しくなるプレー]

自分が楽しいプレーから、チームとして楽しくなるプレーへ。

個の楽しみから、より大きな集団でなければ感じられない楽しさへ。

それぞれができること、やるべきことは何だろう?

時には自分をおさめ、時には自分を前面に押し出す。

自分を押し殺せってことじゃない。

自分がやるべきことの判断する目をとアタマを身につけていこう。