[誰もが良かれと思って]
コート内外のプレーヤーの判断や声掛け、指示を出す教員も全ては良かれと思ってのことだろう。
しかし、それが個人やチームの成長に、ましてや結果に結びつくかなんてわからない。
それでも、責任を持って、部員は声かけを掛け合いプレーをして、教員は指導をする。
うまくいくことがれば、はまらないこともあるだろう。
時にはぶつかることも理解できないこともあるだろう。
自分で考え、行動するもよし。指示通りに動いてみるもよし。
一つひとつのことに「なぜ?」という疑問を持ち、理解しようと関わり合うことが、
わざわざ部活動としてバレーボールをやる意味かもしれない。
[仲間であれ]
コート内に立つプレーヤー、それらを支えるサポーター、指導する教員。
色んな立場の人が集まり、チームを作る。
だけど、プレーするのは君たち。最後の最後に自分のプレー、皆のプレーに一喜一憂するのは君たちだ。
教員は君たちがどんな形であれ、バレーボールを通して成長できるポイントは何だろうか?と探っている。
それがプレーのことかもしれないし、プレーのことじゃないかもしれない。
時には厳しい言葉掛けもあるかもしれない。
そいつがどんなミスをしても、どんな悪いことをしても。
君たち同士で声を掛け合ってカバーし合える仲間であれ。
[チームが楽しくなるプレー]
自分が楽しいプレーから、チームとして楽しくなるプレーへ。
個の楽しみから、より大きな集団でなければ感じられない楽しさへ。
それぞれができること、やるべきことは何だろう?
時には自分をおさめ、時には自分を前面に押し出す。
自分を押し殺せってことじゃない。
自分がやるべきことの判断する目をとアタマを身につけていこう。