gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

無強制無放任

すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

 

学習者には、

自分が学びたい時に学びたいことを学ぶ権利

自分が学びたいことを誰かから学ぶ権利

自分が知らなそうなことを誰かから学ぶ権利

自分が知らなそうなことを、自分で見つけて学ぶ権利

学習者の権利は主張しようとすれば人によって色々と出てくると思う。

学習をする機会を均等にするというのが、

誰にも同じタイミングで同じ質の機会を与えることになってはいないか。

どれくらいの学習者が、この機会を均等にして欲しいと思っているだろうか?

 

①学びたい時に学びたいことを学びたいものから学ぶことが、

学びに繋がることもあるが、

②学ぼうと思っていなかったことを、学ぼうとは思っていなかった時に、学ばされるとは思わなかったものから学ぶこともあることも事実だろう。

しかし、学びが②に傾きすぎていないだろうか。(前提ともいっていいかも。)

それよって、学びを届ける側に過度な責任がかかっている。

学習者が望んだ時であれば、学びたい内容を指定されていようがいまいが、学びの質は高まると思う。

①と②が学習者に選べてもいいと思うし、

それが難しいなら、半々くらいの時間ならいいのになと思う。