新型コロナウィルスの存在によって学校は、休校がいつまで続くか予想ができない状況です。
私が今年度、担当する座学は、新型コロナウィルスの有無に関わらず、自学自習を進められるように、年間の学習範囲、5回のテスト範囲、学習の手引き準備してきました。
(基本的には)学習者が自ら課題に取り組み、時間をかけたり、自分で調べていけば進めるようにしました。
これは一見、一般的な準備にも見えますが、集まる生徒やクラスの実情を判断して、内容や進度を調節するため、一律の年間計画を立てながらも提示が難しい場合もあります。また、複数クラスで複数担当者である場合は、学習者や指導者のことも計算にいれねばならず、年間計画を立てるのはさらに難しくなります。
ただ、これは何より、"出来なかった"、"点数が取れなかった"という状況を起こさないような配慮としてされています。
今年中に基準に達しなかったら、また来年やればいい。
というより、できる・できないの基準に
いつまでに
は本当に必要なのでしょうか?
本来はできない体験こそ大切で、学習に留まらず人が生きていく上でとても貴重な体験です。
この"できない体験"にぶつかった学習者の課題をどう学習者自身が、付き合っていくのか?
この向き合い方や視点を共に考えていくことが私がやれることだと信じてやってきました。
根本的に学習の主導権は学習者にあります。
学習者が自ら学習に取り組めるように、学習者とどう関わるか?という視点で授業を構築すると、私たちは学習者が何に困るか?のみに注視し関わっていけばよいことになります。
(厳密にいえば、私たちにはそこまでしか本来は影響を与えられない。)
これらの事から私がいいたいのは、学校に来れないから学習ができなくてしょうがないわけがないということです。
学習者がしょうがないと思わない関わりこそが大切で、学校でなければ学べない、学ぶ環境にないなんてこともありません。
使えるものを使って、一律ではなく生徒の希望に応えてながら平等に接していく必要があると考えています。