gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

厚切りベーコン

3年生が卒業するまでに一か月を切った。

今日から午前中のみ登校する。

昨日は最後となる学期末テストを返した。

今回の学期末テストに「最後の問」なるものをつくってみた。

最後の問に多くの生徒がコメントを書いてくれた。長々と書いてくれた生徒もいた。

最後の問の内容は、

”これまでの授業と日常生活の中から、西尾が伝えたかったことは何だろう?また、授業や日常生活の中で感じたことや学んだことがあったら書いてみてください。”

というものにした。

この内容については生徒から許可をもらえたので可能な限り記事にしていこうと思う。

 

今回の記事はテスト返しの時間に、最後の問に答えながら、話したことについて書いてみる。

彼らのコメントの中に多く出てきたのは、「自己責任」という言葉だ。

日頃から、まずは自分で自分で考えてみて選択してみること。

その選択に対して責任をもつことを意識して接してきた。

だが、その責任にもいろいろあり、自分で選んだことであれば自然で責任と向き合えるだろう。

ただ、今の学校(職場)では自分で選択していないことの責任をもとらないといけない場面が多々ある。

(子どもも大人も。)

もはやどの責任がどこから発生していて、なぜやらないといけないのか?という事案が溢れかえっている。

だからまずは、責任のでどころを探ること、自分が負うべき責任かどうかを見極める目が必要になるという話に進んだ。

学校に限らず、個人で選んだ(判断した)ことの責任を個人がすべて負えない場合があることも事実だ。

彼らが会社に入っても、何か起きた時に、どこに責任や原因があったか?という話には直面するように思う。

この話が、これから起きないように原因をはっきりさせ具体的な改善をするためでなく、単に誰が悪者か?を探すためのものになりがちなために、誰も責任を取らないなんてこともある。

そんな話の中で、この記事にも触れて話をした。

www.nikkei.com

西尾:「えーーーと、あの人・・・厚切りベーコン!」

みんな:「?!?!??」

誰か:「厚切りジェイソン?」

西尾:「あーーー!笑」

ただのうまいものでした。笑

おわり