私は左耳の聴力がない。
後天性で、小学校の検診でわかった。
当時の医師は、点滴を継続的に行えばある程度までは回復する可能性があると言っていた。
同じケースで右耳が聞こえなくなった同級生がいて、その子はある程度まで治った。
ほぼ毎日、どこかの時間を見つけて点滴を打たなければならなかった。
当時の私は野球・陸上競技をしていて、ゲームもしたいし、みんなと遊びたいという時期だった。
母は、「耳が聞こえるようになる可能性があるのだから、通院を続けた方がいい。」
と口すっぱく言った。
しかし、私は母と話し合い、通院をやめた。
”一般的な子思いの母親”なんてみんな違う。
だから、無理に聞かせてでも連れて行くことが正解だという人もいるだろうし、
個人の意見を尊重することがいいと思う人もいるだろう。
当時の母には少し申し訳ないという気持ちがある。
耳が聞こえないことでどれだけ私が苦労していくのかを、私以上に考えてくれただろうから。
でもそれ以上に感謝していることがある。
この問題に限らず一貫して私を1人の人間として対等に、対話をしてくれていたからだ。
最終的には自分の人生に責任を持てるのは自分だけ。
これは耳の通院に限らずそうだった。
耳の通院を無理やり連れて行かれていたら、少しは考え方が変わっていただろう。
片耳が聞こえないと、音の方向が分からず一本違う道を通っている車が私に突っ込んできているように聞こえることはしょっちゅうだし、左側から話しかけられてもほぼ言っていることがわからない。
野球ではセンターを守るが、ライトからの声かけが聞こえないので、右中間のフライをお見合いすることがしばしばある・・・
(いや、耳のせいではない、技術だ・・・笑)
でも、悪いことばかりではない。
右耳を下にして寝ると静かな夜を過ごせる。
都合の悪いことは聞こえてないことにできる(笑)し、
最近は口の動きで何を言っているか少しだけわかるようになってきた(気がする)。
「いや、その時に少し我慢すれば聞こえたんでしょう?」
と言われれば、まぁ、その通りだし、そう考えたことはもちろんあるが、
不思議と過去の自分を責めたことはない。
たらればはいくらでも捏造できる。
今あるもので楽しるようになる能力がついたということにしておく。
終わり