gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

二人(対)という関係の難しさ

AさんがBさんに不快感を与えたとする。

この時、AさんがBさんに意図的に不快感を与えたのならAさんに問題があると多く人が予想するだろう。

 

Aさんは与える気はなかった。Bさんは受け取ってしまった。

という状況である場合、

AさんはAさんの中で与える気がなかったと思っているという事実があり、

BさんはAさんから不快感を受け取ったと思っているという事実がある。

誰かが何かを感じているというのは事実になりえる。

(そう感じたことを他者が嘘である証明できないから。)

ただ、もう一つの事実があると思っている。

BさんがAさんから何をどう受け取ったかは別として、不快感が生まれているのはBさんの中からなのだ。

 

人間関係は正解がないけど、限りなく事実に近いことを無視して、

どちらが悪いか?

と認識で話をしたり、

誰か悪いのか?

と犯人捜しをしたところで問題は前に進まない。

 

事が起こった時にお互いが了解できることを同意のもとで事実レベルで整理していき、認識と事実を分け、これからどう改善しいくかを考えることは大切だと思う。

 

しかし、二人の間で事が起きた時に、二人で事を整理し解決するのは難しい。

自分にどんな認識の癖や思い込みがあるのかわけりにくいからだ。

二人という最少人数の人間関係は難しいなぁと思う。