gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

求められてこその支援

人はどんな環境においても、

その場で、その人なりに学んでいると思っている。

教えようとしなくても、勝手に何かを感じ、何かを学んでいることもあるだろう。

その人の合意がない状態で何を教え込もうとしても、

教えたいことが身につかないばかりか、

望まない状態で教え込まれることによってそれを回避することを学んでしまっては本末転倒だろう。

もちろん、教えてほしいこと、答えのない問い、問いになりきっていないモヤモヤ問いがあり、問われる機会があれば、サポートする人(先生や親御さん)は支援が始まる。

しかし、ここでもすぐに答えを出さなくても、共に学び・考える姿勢があれば私は十分だと思っている。

誰かに聞けばすぐ答えがでる。それを何の根拠もなく鵜呑みにするようなことはあってはならないからだ。

最終的には、自分で納得して、自分でその出した答えに責任をもてることが大切になると思う。

 

このように書いてきたが、上記のようには思えないこともあるだろう。

人には発達や成長のスピードは全員違う。

しかし、

早くできるようになる方がいい。

この年齢ではこうあるべき。

などの価値観が前提にあると上記のようにはいかなくなるのだろう。

 

学習者などの支援の要請なし・同意なし・質問なしに始まる支援によって、身についた能力(これが能力になっている場合もそうなってない場合もある。)の代償はあまりに大きいのではないかと感じる。

 

終わり