gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

自由の線引き

 

gt-24o.hatenablog.jp

この記事の前提になる記事です。↑

 

学び手は、

学びにきている学校でも、

現象として、

(授業中に)眠ってしまったり、やる気が出ない時もある。

(そんな日は休んでしまったっていいんじゃないかって思う。家で自分のペースでやれば授業の内容分は学べるんじゃないかな?)

それを、

「教員が許すかどうか?」

などという謎の問いを立てるのはいまいちだと思っている。

立場の違いを利用してジャッジするのは、どちらもいいことがない。

 

学び手には寝る自由がある。

教員は学んでほしーなー・・・と願う自由がある。

教員が学び手に学ぶっぽいことを強要させる自由は、自由ではないと思う。

ある自由を立場やパワーで侵害する自由は自由じゃないと思う。

 

私は、学校にきて朝から昼前まで寝てる生徒がいたら、

10分くらいやろうとしてみてもいいんじゃないかな?

とか、

なんかあったんかな?

とか、

座って授業がつまらないってだけで、寝るのを選ぶクセがついてしまっているの勿体無いなー

とか、

昨日ゲームしてたのかな?

とか、

部活の朝練がつらいのかな?

とか、

色々考える。

 

色々思いを巡らせると、授業は終わってる。

「授業中に寝てる生徒を起こさないのは、生徒指導上、良くない。」

とか言われると困る。

でも、本質的に私は困っていない。

その学び手が、寝ていることによって学びを生み出せないことから、困り果てることがあるかもしれない。

だけど元気になってその日家でバリバリ学ぼうとしているかもしれない。

寝ることで、学びを生み出せないけど、体調は戻るかもしれない。

寝ることしか、椅子に座ってつまらないことをしなければならないという強制の対抗策(代償の清算方法)を知らないのかもしれない。

まぁこんなことを考えていないで、起こして話をすればいいわけだが、

いまいち深い話はできないし、説教してるみたいになってしまう。

そういうことでしか、声をかけてもらえないとなるとなおその行動は強化されさらに寝てしまう。(だから雑談が重要)

 

となると私にできることはシンプルで、

クラス全員が、

授業をやってもいいかな?って思える仕掛けや仕組みを自分は作れているのかな?

と自分に問い続けることだ。

自由の線引きをして、やれることをやる。

それだけなんだと思う。

 

おわり