gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

「哲学」やら「対話」やら

「哲学」という言葉の際限の無さ、広がりをどう整理するのか。

最近の考え事の一つです。

というのも、

「哲学に通ずる対話の場」

を作りたいと思っています。

「哲学についての対話の場」でもなく、

「哲学を通しての対話の場」でもなく、

「哲学を駆使した対話の場」でもない感じなんです。

 

何が違うんだよ・・・

という声が聞こえてきそうです。笑

ごもっともです。笑

 

私がイメージしている

「哲学に通ずる対話の場」

物質的ではない物事や概念の本質を、

対話を通して、

その場にいる人たちが納得・了解・承認(納得も了解も承認も違う)をできる、

一つの新たな”何か”を見つける営みができる場

 

さらにわからない。笑

最終的に「何か」としか当てはめられないこの”何か”という言葉も探っていきたいと思っています。

 

とはいえ、こんな言葉をこねくり回す場ではなく、

哲学は、その時代、その社会、その集団、その人、そのモノ、そのコトが抱える問題を解決したり、課題をクリアしていく、違うステップへ進んでいくためにあるものだと思っています。

何かのためになって初めて「哲学」って言葉がカッコよく見えてくる気がしてます。

d.hatena.ne.jp

どんな人だって、自分で考えて、自分の意見を持って良いし、発言していい。

なかなか声に出すことって勇気がいるけど。

勇気を持って話してくれたことには、耳を傾けるといいかも知れない。

新たな思考に入り口に立てるかもしれないし、

もしかしたら、他者の問題の解決の糸口になるかも知れない。

一人だと自分をなかなか受け入れられずにいても、

口に出してみたらあっさりと受け入れられたりするかも知れない。

 

人と人が、「哲学に通ずる対話の場」でそんな反応が起こったらいいなーと思っている。

まだ全部頭の中の話なんですが・・・笑

 

 

そして、話はかなり飛躍しますが、

インタビューゲームに可能性を見出そうとしています。

もしよければ、インタビューゲームしてください。笑

 

おわり