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わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

ぼくが真実を口にすると吉本隆明88語 勢古浩爾

ぼくが真実を口にすると 吉本隆明88語 (ちくま文庫)

ある現実的な体験は、体験として固執するかぎり、どのような普遍性ももたないし、どのような歴史的教訓をも含まない。ただ、かれの「個」にとって必然的な意味をもつだけである。

(「過去についての自註」『背景の記憶』平凡社ライブラリー 39歳)

P.98

このあとにつづく文章はこうである。「この体験の即時性を、ひとつの対自性に転化できない思想は、ただ、おれは『戦争は嫌いだ』とか、『平和が好きだ』という情念を語っているだけで、どんな力をももちえないものである」

中略

体験それじたいはその個人にとっては大切なものだが、もしそれを意味として語るのなら、それに自分が向き合って(対自性)、他人にまで通用する「思想」に転化させなければ意味がない、ということである。

自分が体験したことないことを、他者が体験していることに対して、ひがんでみてもどうしようもない。

ひがむくらいならすぐ動けば良いのだが、そういうわけにもいかないこともある。

その人の体験は、”その人の体験”であり、自分が”その人の体験”をしたからといって、その人が得たこと(得たと妄想していること)を得られるかといえばそうではない。

稀少な体験をしたからといって、何か特別なことを得られるかと言えばそれはわからない。

稀少な体験とは、”稀少な体験”でしかない。

また、他者からみれば、自分の体験も”稀少な体験”になることだってある。

まずは自分の体験していることを正しく事実として認識することの方が大切で、その体験を通して自分で考えて、大切なことを言葉にしていくことも大切かと思う。

 

おわり