第七章 仕事への愛
考えてみれば、人間は生まれてくることも、生きていくことも、死んでいくことさえも、自分の力ではどうすることもできないちっぽけな存在なのです。そういう極限のマイナス思考から出発すれば、人は、今日一日命がつながった、今夜も無事つつがなく終えることができた、という当たり前のことが、実はありがたいことなのではないかと思えてくるのです。
大切なことは、「今日なにをしたかではなく、今日どうだったかである」と言われます。問題なのは、愛する仕事につくかつかないかではなく、どんな仕事をしていても、今日一日の自分の時間を愛する気持ちがどれだけ味わえるか、という気がしてなりません。
私は大学の頃、奨学金とアルバイト代で学費と家賃と生活費を捻出していました。
おまけに左耳も聞こえないのでコミュニケーションにも自信はない。
スーパーがつくほどのネガティブな人間だったように思います。笑
そういう部分は今でも見え隠れすることはあるのですが、ネガティブで超悲観的になれる経験があったから今の自分があるような気もしています。
人は環境依存的なので、一人の力ではどうにも出来ない。
だからこそ、
今日の自分はどうだったか?
と問われた際に、理想的な自分の姿とは違うものになってしまうかもしれない。
しかし、ふと思い浮かべるのですが、
私は多くの時間、会話を楽しみ、
時には腹をかかえて笑い、
号泣したりしています。
"自分の時間を愛する気持ちを味わう"
まあ、自分次第なんやろな〜っと。
おわり