gt-24o’s blog

わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

はじめての哲学思考⑥ 記事:苫野一徳さん

http://www.webchikuma.jp/articles/-/165

 

ニセ問題をしっかり見抜こう

「問い方のマジック」は、日常生活においても、政治の世界においても、はたまた学問の世界においてさえ、うんざりするほどあふれ返っている。
 せっかくなので、いくつか列挙してみよう。

①「人間は生まれながらに平等な存在か、それとも不平等な存在か?」

 今でもしばしば議論される問題だ。でもこれも、実は「問い方のマジック」にひっかかった“ニセ問題”なのだ。
 人間は平等か、否か。これは観点によって何とでも言えてしまう問題だ。たとえば、種としての人間は、そのかぎりにおいては、ある意味で平等と言えなくもない。アフリカのサバンナに丸裸で放り出されたら、僕たちの生存確率はみんなだいたい同じくらいだろう。
 でもその一方で、経済社会を生きる僕たち人間は、現実的に言ってなかなか平等とは言いがたい。前回も言ったように、現代社会では、生まれ育った家庭や地域によってどうしても将来的な差が生まれてしまうし、生まれ持った能力なんかも、完全に平等というわけじゃない。
 要するに、人間は生まれながらに平等なのか否かという問いに、絶対的な答えを与えることはできないのだ。だから、この問いをイエス/ノーの次元で議論するかぎり、僕たちはどこにも行きつかない堂々めぐりを繰り返すほかなくなってしまうのだ。
 そんなわけで、僕たちは、この問いをほんとは次のような問いに変える必要がある。

「僕たちは、お互いに何をどの程度平等な存在として認め合う社会を作るべきだろう?」

 これなら、建設的で意味のある問いだと言える。みんなで考え合うに値する。

 

問いを無理にたてなくたって良い。

問いを立てようとしても、立たない状態はもしかしたらとても幸せな生活がおくれているのかもしれない。
それでももし、問いが立ったときに気をつけたいことがある。
問い方(思考のスタート)を間違えると、その問題や課題を共有する人の多くの“共通了解”にたどり着けない危険性がある。
ゴールや案をいくつか定めておいて、その中から選ぶと、第三案がないような錯覚に陥る。

(お楽しみ給食とかで3種類のケーキから1つを選ぶときには、4つ目の種類をどれだけ言っても出てこないとは思いますが・・・笑)

少数勢力の排除をするために、論ずる力を高めて、打ち負かすのではなく、
その意見が出てくる実情をより多くの人で理解し合えるような問いが大切だ。
〇と△ ならどちらか?
ではなく、
まずは〇や△ という意見になる理由はなんだろう?
〇も△ も納得できる☆という意見はどうだろう?
☆にあれをこうすると、◇にならないか?・・・・

という話し合いがしたい。

 

この先には、ディベートについても書いてあります。

続きはこの本で♪

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

 

おわり