ある友人は、友人の師匠からこう聞いたそうだ。
「なぜ勉強をするのか?」と問いが立つということは、その理由がないと勉強をしたくない状態ってことだ。
大筋このような表現だったと記憶している。
問いが立ったときの動機や環境・流れにもよるけど、問いにはそんな側面がある。
めっちゃ楽しいことをわざわざ、
これってこうで、こうだから楽しさがわいてくるのだよなー!!
と定義はしない気がする。
楽しいからその時はすーーーっと、わーーーーっと過ぎる。(はず。笑)
{私はたまに考えてしまうけど・・・笑}
哲学は、ある集団または、集団の中にいる個人の諸問題を解決するときに用いられる。
(本日、うんことうんちの違いはなんですか?ニヤニヤ
と質問をしてきた子たちがいたので真顔で無視しましたが。)
哲学は好きなのですが、問いを自分で立て続けるのには苦労する。
他者との関わりの中で、ココロに残る、モヤモヤする体験が重なり、
余裕があるときに、じっくり考え、話し合うことは楽しい。
そんなバランスでいいと思う。
おわり