gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

はじめての哲学思考 ① 記事:苫野 一徳さん

 

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哲学は「本質」を洞察することで、その問題を解き明かすための「考え方」を見出す営みだ。

本質を捉えることを私なりの言葉で表すと、

「今まで立ったことが視点に場所に自分で歩いてゆくこと。」だと思っている。 

生活していく中で、ふと感じる違和感。

この違和感を出来る限り自分事として捉え、自分のまだ見ぬ視点を探しに行く。

場合によっては、人がまったく気にもかけないことを真剣に考えることにもなる。

しかし、違和感を感じる感度は大切にしたい。

 

こうした「そもそも」を考えるための“思考法”を、2500年もの長きにわたってとことん磨き上げてきたものこそが、哲学なのだ。だから、僕たちがその“哲学的思考法”を身につけているといないとでは、思考の深さと強さにおいて圧倒的なへだたりがある

[圧倒的なへだたりについて]

自分が紡いだ言葉で、自分の考えを、自分が置かれる環境とのバランスを考えながら話す。

こういった言葉には力があるし、人に心に残りやすい。(気がする。)

日々考え抜いて、言葉を選び、相手に伝わるようにするには、

話すにしても、書くにしても"言葉に対する想い"が勝手に入ってしまう。

 

感情を持ち出して、自分の言い分を伝えるのとは違う。

浅はかな言葉には、言葉に対する自分のオリジナリティ(言葉に対する想い)が詰め込まれていない。

感情を表に出し、言い分を伝えようとすることと、

言葉一つひとつに”想い”が入っていて、何ともいいがたい表現になるなるのには圧倒的なへだたりがあるように感じている。

 

おわり