私たちは人なので、欠点があります。
欠点というか、
あるものを信じれば、あるものは信じないわけで。
何かを選択すれば、何かを選択しないわけです。
もちろん多角的に、物事をみて提示できるようになろうとすることは怠りません。
万能であることは難しいから他者と協力します。
自分の中に正しさはあって良い。
けど、他者にも同じだけの正しさがある。
そこを受け止め、理解しようとする姿勢が大切だと思います。
(対等な関係をもって接することが大前提とはなりますが。)
話し合いをする時には、正しいか正しくないか?を決めるのではなく、
どこが自分の長所で、
どこが自分の短所か、
を話し合うのがいいと思うのです。
一つの正しさとは、
一つの側面でしかなく、
反対側、裏側にあるものを自分で上手に隠したとしても他人にはよく見えるものです。
怒りは色々なことを教えてくれます。
怒りが湧き上がってくるときは、たいてい、自分に怒っていると思っています。
自分の出来ていない部分や目を背けている部分は他者から見るとよく見えてしまうので、そこを突かれて怒ってしまう。
ならば、
そこを認めてしまって自分が何に焦点を当てて、その結果、ここが弱いと説明することがその先にいく扉かもしれません。
ただ、前提や理念、目的、ビジョンなどが違う場合もあるし、
そんなことを考えてすらない場合もあります。
そういった場合は、こちら側が面倒になってもう関わる必要がないと思うまで向き合うことです。
ただ、人は違う(違いすぎる)存在であり、
それに気づいていくために関わるのに、
違うことに落胆して、
「理解できない。」
と言われてしまうと辛いですね。
「理解できない。」のではなく、
理解する気がないのだろうなと思います。
思考停止状態です。
あいてが思考停止状態になっても自分はそうならないよう、良く聞くことが大切なんだろうと思います。
おわり