「みんな違って、みんな良い」
という言葉は、
「みんな違うんだから、みんな好きなことしようぜ!」
という意味じゃないと思っている。
最終的には好きなことしてもらえばいいんですが・・・笑
(結局、好きなことしか出来ないとも思う。さらに言うなら、あなたが選んだその選択があなたの大好きなことだとも思います。)
「みんな違って、みんな良い」とは、
他者の”違う”部分を認識していくための大前提のルールだと考えています。
そして、”違い”を分かりあうことが、人との関わりの中で大きな喜びにもつながると考えています。(人の一番の喜びともいえるかも。)
”違う”ことって、意見が合わないとか、協同できない時などの原因に使われることがあります。
しかし、ウマが合わないとか、話が合わない理由を”違う”せいにしても、何も前に進まない。
それはこの世の中に”同じ”人はいないからです。
”違う”ことは前提として、
お互いの”違い”を知っていくから楽しい。
だって、いつも共にいる仲の良い人を考えてみてください。
すごく自分と”違う”人じゃないですか?笑
ということは、
自分の好きな”違い”をもつ人、
自分が一緒にいて安心する”違い”をもつ人、
自分が一緒にいて成長できそうな”違い”もつ人
が仲が良い人なのでは?
と私は考えます。
「あの人は私とここが違いすぎて無理だ!」
とか思っている場合、
自分の嫌いだと思っている部分が、その他者にもあって、そこが嫌いだったりする。笑
違いすぎて嫌いだと思ってる人ほど、似た要素を持ち合わせていたりする。笑
そういう人ほど、分かりあう楽しさがあったりするのではないしょうか。
(大変なので、私は全員と分かり合おうとは思いませんが。しかし、このブログを読んでくれる方は仲良くしてください。笑)
より”違い”を楽しみたいです。
おわり