gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

出来ないツラさ 分からない不安

私は久しく(1年ほど?)、

出来ない・分からない

の状態になっていなかった気がする。

(苦しむほどのストレスを感じたことが少なかったともいえる。)

 

私は今、ある媒体を利用して

出来ない・分からない

が定期的に訪れるようにしている。

そして、それに向き合うと、

出来る・分かる

が訪れる。

(出来る・分かるに至るかはその人の姿勢次第な気もしますが。)

その繰り返しを、日常の中におくための手助けをしてくれるものに取り組んでいる。

 

子どもたちには、自らの課題に向き合う姿勢を身につけて欲しい。

出来ない・分からない 

の状態から、自分なりにその課題に向き合い、試行錯誤すれば、

出来る・分かる

まで持っていける。という感覚を持ってほしい。

そうすれば、一時的に

出来ない・分からない

状態になっても、

出来る・分かる

まで持っていけることを知っているから最小限のストレスで済むし、自分を信じられる。

 

ただ、

現状の環境(同い年40名が一室にいる状態)で、

毎回、分からないこと・知らないこと(新しい概念)を、

半ば一方的(ここが教員の力量?)に、

全員がわかるまでやってもらえないまま進んでいく授業をうける子どもたちの、
出来ない・分からない
に対するストレスは私が考えていたものよりとても大きいのだと再認識した。

 

先生のおかげだと言わせず、

先生はいらないとも言わないような授業が、自分が目指すところな気がします。

 

おわり