gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

教える 教えない 何もしない part3

[何もしない]

”教えない”ことで教えたいことがある。

けれども、”教えない”ことも”教える”と同じように押しつける部分がある。

「主体性を伸ばしたいから自由を与える。」にも、自由を強要している部分がある。

(「自由を与える。」と言っている時点で自由でない気もする。)

 

では”何もしない”とはどんな状態か。

① 学びの主体者に興味がない。

 → これがなければ何も生まれない。

② ”教えない”という手段に囚われている。

 → どちらかが良い!これ必ず良いからやらせる! では、

  ”教える”ことの強制と何らやっていることが変わらない。

③ 学びの主体者を見続けるという、責任を負っていない。

 → ”教える”、”教えない”のバランスを保つためには、学びの主体者のことを見続ける

  (決して管理するわけではない)ことが大切。

   教える側はいつもバランスを見ながら、適度な距離感をとっていく。

   そして何より、共にする時間が何よりも大切。