gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

教える 教えない 何もしない part2

[教えない]

① 教えなければならないことは?

究極的に言えば、学びの主体者が知りたい何かを自分なりに感じ取り、自分の答えを持てれば良いのであれば、教えることはない気がする。

そのスピード感では(本人ではない誰かが)困るし、教えることで主体者が生きていく上で助かることがあるから学校は教える場所なのだと思っている。

「1+1=?」

このときに、

自分で考えてみて!と言われても、

それぞれの意味がわからなければ、問われていることすら気づけない。

「1」とは何か?

「+」とは何か?

「=」とは何か?

「?」とは何か?

こう考えると知識はとても大切。

何も知らない子どもに何かを教えていくということは、

その子ども通りの表現力や伝達力が必要なのだと思う。

 

 

② 教えなくて良いことは?

・授業は何時まで?

→ 時間割をみましょう^^

・教科書は何ページですか?

→ 黒板みてください^^(書いてあります。笑)

・トイレに行って良いですか?

→ 「いいえ」とは言えないので、自分で適切なタイミングかどうか考えてください^^

・どんな練習をしたら良いと思いますか?

→ あなたはどんな練習が良いと思いますか?

など。笑

 

表面的なことですが、大切なことだと思っています。

選択して、責任と行動をセットにすることで、

教えなくてよいこともあるかもしれません。

体験することも大切だと思います。

(選択と責任や、体験することを教えたい。) 

 

”教えない”ということは、

1 まずは問を投げかけてみること。

2 その人が感じたことを大切にすること。

3    その人にあった情報(本や人物)を自然にファシリテートすること

 

教えないことで、教えたいことがあるんだろうな。

教えないことを考えるときには必ず、
教えることを考えることになる。