今日でクラスの生徒面談が終わりました。
どの生徒の面談でも、部活動のことを取り上げました。
よく耳にしたのは、
「中学で部活は疲れたんです。」
とか、
「楽しい感じの部活動がいいんです。」
という声だった。
私が一番、悲しかったのは、彼らが
”何につかれたのか?” である。
「厳しいこと、頑張ること、真面目なこと=美徳」という価値観?を、押し付けられる事で、
スポーツを楽しむだとか、
仲間との時間だとか、
そういったものより、
「(先生の作る)頑張る雰囲気の部活動についていけるか?」
という判断基準になってしまっている気がする。
そりゃたくさんの人間が集まれば、色々な価値観がある。
顧問としても、基準を設ける必要もある。
ただ、
「頑張っている人間が正義。」
だとか、
「苦しみや我慢の先に”何かが”ある!」
というもの。
これらの、
頑張り、苦しみ、我慢 の目的をだれが決めたのか?
というのがとても重要になると思う。
教員がこの基準を決めてしまえば、私は教員による部活動の私物化だと思う。
子どもが選択して、自らのために自分に課した、
頑張り、苦しみ、我慢
であれば、それは彼らのためになると思う。
(彼らが自分のためだと思っているのだから当たり前である。)
今年の部活動登録で、2年生が深刻な顔をしながら、
「他の部活に移りたい・・・」
と言ってきた。
選択するのは生徒なので、何の問題もない。
部活動に来るかどうかは、君の時間をどう使うかだし、時間は君の人生だと。
選択していいんだと伝える。
そうすると、涙を流していた。
言い出せなかったんだと思う。私は責任を感じた。
そこまでになってしまう、この雰囲気は何なのか。
私の考えるシンプルなルール。
「部活動はやりたい人がやる。」ということの本当の意味(ほんとにそのまま。)を伝えるのに、3年かかるかもしれない。
おわり。