なぜ学ぶか。
「学ぶ」と言われると頑張るとか、真面目とか、そんなイメージになりませんか?
机に座って、教科書とノートに、教えてくれる人が前に立ってたりする。
このようなイメージを「学ぶ」とイコールで結ぶのは少し違うと思う。
遊ぶことと、学ぶことは相反することのような気がするけど、
遊ぶことを突き詰めていくと、結局、学ぶこと(知識を仕入れること?)になる気がする。
学校に行ってる時間や仕事をしている時間、すべてを遊びの時間にしたとしよう。
遊びの定義も色々あると思うが、具体的にいうなら・・・
ずーーーーーとダーツでもいいし、ずっとボーリングでもいい。
ずっとババ抜きをやることを想像しても良い。
(ずっと〇〇シリーズで面白そうなの何かあれば教えてください。笑)
最初はいいけど、ずっとはしんどい気がする。笑
なぜしんどいかというと、息詰まるから。(飽きる、目に見える成長がとまる。)
でも、しんどくなってから、さらに上の(奥の)ステージに行くには自分の中にある、隠された能力の扉を開けるしかない。
その扉を開けるには、今まで知る由もなかった視点から、遊びをみるしかない。
人間の身体、心、思考パターンを知っていくことになるのかな?
学んだことが生かされ、うまくいくことが増えれば、楽しくなる。
また、壁にぶつかる。また学んで試してみる。
それの繰り返しなのかと思う。
学びの入り口はそこら中に転がっている。
入口はなんでもいい。
そこから得意そうな、好きそうなことで続けていくと自然と、学ぶことが好きになれるかもしれない。
おわり。