宮沢賢治の不屈の探求心
情報化社会の中で、現代人は探求心が薄れてしまいました。それどころかあまりにも多すぎる選択肢を前に戸惑いが生じ、目眩を起こしてしまっています。
宮沢賢治の時代は、ものが少ない時代でした。少ないから選択する力が生まれ、探究心も芽生えます。その点では、ものに溢れた現代と比較した場合、逆に幸せな時代であったといえるかもしれません。
今のような時代に必要なことは、信念を持つことだと私は思います。言い換えれば目的をしっかりと持つことです。自分が行動していることのすべてが、その目的に合流していくとの意識を持てば、それが信念となっていきます。目的が不明のままでは信念を持つことはできません。
宮沢賢治にもおそらく信念があったと思います。その信念に基づいて「雨ニモマケズ/風ニモマケズ~サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」というあの有名な詩が生まれたのだと思います。
その賢治の目的・信念は成し遂げられたのかといえば、そうではありません。賢治は「永久の未完成これ完成である」と書き残しました。答えがすべて用意されていたら、探求する意味はなくなってしまいます。常に問いかけを繰り返し、未回答のままに続いていく。その不屈の探求の精神があるところに求道があり、その求道心こそが賢治の信念であったと思います。
上記URLから抜粋
多すぎる選択肢・・・
私は選択肢が無限にあると思っている。
それは人生を0ベースから考えれば当然のことだ。
しかし、それは目移りする可能性もあるってこと。
自分の課題を棚に上げて、他者の生き方を表面だけなぞって、憧れる。
自分の人生の現状を把握して、1日を大切にできない生き方は、リアルじゃない。
そして迷い、立ち止まってしまう。迷うことは悪いことじゃない。
だけど、知りもせず、1日を雑に扱いながら迷い続けるのは少し違う。
今やること、今日やること、明日やることを。
自分の身の丈にあったことを。
誰かのためにやっていけることを。ってことが大切だと再認識した。
それが信念につながる。
1日を大切にすることって簡単なことじゃない。
続けることも大切なことじゃない。
まさにそれは、不屈の探求の精神なんだろうな。(言葉にするのは簡単だよな・・・)
そして、阿部さんに教えてもらったこと。
西:「子どもって何を求めてますかね?」
阿:「子どもは暇なんだよ。」
西:「????」
阿:「何も求めてなんていない。」
子どもはあるもので遊ぶし、
あるもので楽しむ。
何からでも知らぬ間に学んでる、
そして、直感に従う。
「楽しそう・・・ニヤリ」
という感情が先行する。
誰より、何より素直だ。
大人が勝手に、これがいいだとか、知っといた方がいいだとか、大人の自己満足で用意したものなんてなくても大丈夫なんだ。
そんなことを思った。