gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

宮沢賢治さんと、阿部先輩から学ぶ。

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宮沢賢治の不屈の探求心

 情報化社会の中で、現代人は探求心が薄れてしまいました。それどころかあまりにも多すぎる選択肢を前に戸惑いが生じ、目眩を起こしてしまっています。
 宮沢賢治の時代は、ものが少ない時代でした。少ないから選択する力が生まれ、探究心も芽生えます。その点では、ものに溢れた現代と比較した場合、逆に幸せな時代であったといえるかもしれません。
 今のような時代に必要なことは、信念を持つことだと私は思います。言い換えれば目的をしっかりと持つことです。自分が行動していることのすべてが、その目的に合流していくとの意識を持てば、それが信念となっていきます。目的が不明のままでは信念を持つことはできません。
 宮沢賢治にもおそらく信念があったと思います。その信念に基づいて「雨ニモマケズ/風ニモマケズ~サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」というあの有名な詩が生まれたのだと思います。
 その賢治の目的・信念は成し遂げられたのかといえば、そうではありません。賢治は「永久の未完成これ完成である」と書き残しました。答えがすべて用意されていたら、探求する意味はなくなってしまいます。常に問いかけを繰り返し、未回答のままに続いていく。その不屈の探求の精神があるところに求道があり、その求道心こそが賢治の信念であったと思います。

上記URLから抜粋

多すぎる選択肢・・・

私は選択肢が無限にあると思っている。

それは人生を0ベースから考えれば当然のことだ。

しかし、それは目移りする可能性もあるってこと。

自分の課題を棚に上げて、他者の生き方を表面だけなぞって、憧れる。

自分の人生の現状を把握して、1日を大切にできない生き方は、リアルじゃない。

そして迷い、立ち止まってしまう。迷うことは悪いことじゃない。

だけど、知りもせず、1日を雑に扱いながら迷い続けるのは少し違う。

今やること、今日やること、明日やることを。

自分の身の丈にあったことを。

誰かのためにやっていけることを。ってことが大切だと再認識した。

それが信念につながる。

1日を大切にすることって簡単なことじゃない。

続けることも大切なことじゃない。

まさにそれは、不屈の探求の精神なんだろうな。(言葉にするのは簡単だよな・・・)

 

そして、阿部さんに教えてもらったこと。

西:「子どもって何を求めてますかね?」

阿:「子どもは暇なんだよ。」

西:「????」

阿:「何も求めてなんていない。」

 

子どもはあるもので遊ぶし、

あるもので楽しむ。

何からでも知らぬ間に学んでる、

そして、直感に従う。

「楽しそう・・・ニヤリ」

という感情が先行する。

誰より、何より素直だ。

 

大人が勝手に、これがいいだとか、知っといた方がいいだとか、大人の自己満足で用意したものなんてなくても大丈夫なんだ。

そんなことを思った。