gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

1-3通信 part2

 

gt-24o.hatenablog.jp

 

 1-3通信 part2

「対話的な価値交流」

誠実に言ってみても、行動しても、他者と違うことがあると思う。

でもそれは当然。自分が大切にしていることがあるように、

他者も同じくらい大切にしていることがあるからだ。

そんな時こそ対話しよう。

違うことを恐れず、怒りを持ち込まずに。

わかりえないことがあって当然。誰かと違って当然。

その違いをお互いに知り、違いを受け入れられなくとも、

違いを受け止めてみよう。

 

1-3通信

平成29年度から、クラス通信を書いています。

下記のリンクは平成29年度に書いたクラス通信をまとめて記事にしたものです。

gt-24o.hatenablog.jp

 今年は1年3組の担任となりましたので、

「1-3通信」と銘打ってA5サイズで書いていきます。

 

1-3通信 part1

「自ら考えて、動いてみよう」

自分の在り方や、日常の疑問を大切にしてみよう。

自ら感じ、考えたことはあなた自身を形作るものだ。

自分の中から生まれたものをベースに行動・発言すると、

自分がやってみた、言ってみたことに自然と責任感が生まれてくる。

人は自分から発したことでなければ責任をとれない。

自分の行いの結末はわからないけど、

誠実な言動・行動は誰かが見てくれている。

自分で考えて、言ってみて、やってみて、学んでいこう。

 

授業フリップ part4

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できるようになろうとし続けることは、

できるようになろうとすることをやめないこととも言えます。

 

・1日サボっちゃった。

・自分の決めた時に勉強をしなかった。

自分はやらなかったのか、やれなかったのか、できなかったのか、忘れていただけなのか。

結果として自分の約束が守れなかったとしても、守れなかったことを悔やんでも仕方がない。

昨日ダメでも、できるようになるには、「今日やるしかない。」

続けようとせず、「やめない」ことだ。

学校駱駝

高校17

ミス:5

16:19

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”らくだ的”に学ぶことを学校に取り入れようとしているが、

らくだ的に学ぼうとすれば、らくだ教材が必要になります。

当たり前のことなのですが、学校で”らくだ的”に学びの場を開こうとすればするほど、教材の重要性にぶつかります。

 

らくだ教材は”できない”の塩梅、”俺できるようになってきてんじゃね?”という奢りの発生させ具合いなどのバランスがとても良いのです。

 

評価や時間などの縛りもありますが、生徒がどれだけ学ぼうとするかは自由。

全員に100点を取らせる必要はなくても、全員が70点を取れるチャンスは用意できます。

 

”らくだ的”に学ぶことの何たるかを日々研究しながら、学校での実践に取り組みます。

中立なんて

一つひとつのことを対話的に扱おうとすれば、それはそれは多様な意見がある。

人の話を聞けていると思い込んだときから聴けてないし、

中立だと思い込んだときから、ズレ始めている。

対話を行うたびにそもそも分かり合えず、中立などないという前提に立ち戻る。

 

対話は、お互いが万能でないことを知れる機会であり、足りてないところも気付けるチャンスがある。

対話しなきゃよかったと思うこともある。

うまーく限定された人だけで、まとめておけばと思うこともある。

正しさで人を傷つけることもある。

そして「あの言葉は大丈夫かな?」と心配になる。

 

このように内省をする文章を書こうと、

この文章で自分をうやむやにしてはいけない。

湧き出た感情や、視点の欠けた発言には誠実に謝罪をする。

何か悶々とする時には、自分に落ち度があるんじゃないかって思っているとき。