1-3通信 part2
「対話的な価値交流」
誠実に言ってみても、行動しても、他者と違うことがあると思う。
でもそれは当然。自分が大切にしていることがあるように、
他者も同じくらい大切にしていることがあるからだ。
そんな時こそ対話しよう。
違うことを恐れず、怒りを持ち込まずに。
わかりえないことがあって当然。誰かと違って当然。
その違いをお互いに知り、違いを受け入れられなくとも、
違いを受け止めてみよう。
1-3通信 part2
「対話的な価値交流」
誠実に言ってみても、行動しても、他者と違うことがあると思う。
でもそれは当然。自分が大切にしていることがあるように、
他者も同じくらい大切にしていることがあるからだ。
そんな時こそ対話しよう。
違うことを恐れず、怒りを持ち込まずに。
わかりえないことがあって当然。誰かと違って当然。
その違いをお互いに知り、違いを受け入れられなくとも、
違いを受け止めてみよう。
平成29年度から、クラス通信を書いています。
下記のリンクは平成29年度に書いたクラス通信をまとめて記事にしたものです。
今年は1年3組の担任となりましたので、
「1-3通信」と銘打ってA5サイズで書いていきます。
1-3通信 part1
「自ら考えて、動いてみよう」
自分の在り方や、日常の疑問を大切にしてみよう。
自ら感じ、考えたことはあなた自身を形作るものだ。
自分の中から生まれたものをベースに行動・発言すると、
自分がやってみた、言ってみたことに自然と責任感が生まれてくる。
人は自分から発したことでなければ責任をとれない。
自分の行いの結末はわからないけど、
誠実な言動・行動は誰かが見てくれている。
自分で考えて、言ってみて、やってみて、学んでいこう。
できるようになろうとし続けることは、
できるようになろうとすることをやめないこととも言えます。
・1日サボっちゃった。
・自分の決めた時に勉強をしなかった。
自分はやらなかったのか、やれなかったのか、できなかったのか、忘れていただけなのか。
結果として自分の約束が守れなかったとしても、守れなかったことを悔やんでも仕方がない。
昨日ダメでも、できるようになるには、「今日やるしかない。」
続けようとせず、「やめない」ことだ。
高校17
ミス:5
16:19
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”らくだ的”に学ぶことを学校に取り入れようとしているが、
らくだ的に学ぼうとすれば、らくだ教材が必要になります。
当たり前のことなのですが、学校で”らくだ的”に学びの場を開こうとすればするほど、教材の重要性にぶつかります。
らくだ教材は”できない”の塩梅、”俺できるようになってきてんじゃね?”という奢りの発生させ具合いなどのバランスがとても良いのです。
評価や時間などの縛りもありますが、生徒がどれだけ学ぼうとするかは自由。
全員に100点を取らせる必要はなくても、全員が70点を取れるチャンスは用意できます。
”らくだ的”に学ぶことの何たるかを日々研究しながら、学校での実践に取り組みます。
一つひとつのことを対話的に扱おうとすれば、それはそれは多様な意見がある。
人の話を聞けていると思い込んだときから聴けてないし、
中立だと思い込んだときから、ズレ始めている。
対話を行うたびにそもそも分かり合えず、中立などないという前提に立ち戻る。
対話は、お互いが万能でないことを知れる機会であり、足りてないところも気付けるチャンスがある。
対話しなきゃよかったと思うこともある。
うまーく限定された人だけで、まとめておけばと思うこともある。
正しさで人を傷つけることもある。
そして「あの言葉は大丈夫かな?」と心配になる。
このように内省をする文章を書こうと、
この文章で自分をうやむやにしてはいけない。
湧き出た感情や、視点の欠けた発言には誠実に謝罪をする。
何か悶々とする時には、自分に落ち度があるんじゃないかって思っているとき。